闘うコラム大全集

  • 2016.03.17
  • 一般公開

他人事ではない超高齢化のリスク

『週刊新潮』 2016年3月17日号

日本ルネッサンス 第696回


 

日本は世界一の長寿国となったが、高齢化に伴うさまざまな課題を賢く解決しなければ、長寿大国の意味はないと私は思う。いま、多くの人が高齢者と共に暮らし、何らかの形で介護に携わっている。介護される側も、する側も、眼前で発生する問題に、とにかく対処しなければならない。理屈よりも現場なのである。

 

そうした中、高齢化時代に国民1人1人がどのように元気に、幸福に暮らしていけるか。元気でなくなったときにどのように問題を乗り越えていけるのか。元気でなくても無事に安心して暮らせる仕組みをどう作っていくか。そのモデルを作り出せたとき、日本人は今よりずっと安心して暮らし、幸せになれるはずだ。大きく構えて言えば、日本は今よりもっと人類全体に貢献できるはずだ。

 

その意味で、3月1日の最高裁判所判決には考えさせられた。


「事故」が起きた2007年12月、認知症で要介護4のその男性は91歳だった。男性は同居の妻(当時85歳、要介護1)らが目を離した隙に外出してしまい、愛知県のJR東海道線共和駅のホーム端の柵を開けて線路内に入った。裁判所の認定はこうだが、本当にそのような形で線路内に入ったのかどうかは、確認が難しい。男性はここで電車にはねられ、死亡した。

 

事故後、JR東海は民法に基づいて、家族を監督義務者と見做し、「列車の運行に障害が出たことによる直接被害額」、720万円の支払いを求めた。しかし、家族側はむしろ亡くなった男性こそ被害者であり、JR側に責任があるとの立場をとった。両者は折り合えず、この種のケースとして初めて裁判になった。

 

まず名古屋地裁はJR側の主張を全面的に認め、妻と長男に360万円ずつ、計720万円の支払いを命じた。同高裁は約20年も別居していた長男には監督義務はないとして、妻だけに360万円の支払いを命じた。3月1日の最高裁判断は、下級審判決を破棄し、JR東海が逆転敗訴した。


増え続けるリスク

 

死亡した男性を介護していたのは、要介護1の認定を受けている妻と、近所に転居し義父の世話に当たった長男の妻だった。長男は横浜市在住で、前述したように20年以上、親と同居していなかった。

 

最高裁判決のポイントは、➀同居する配偶者というだけでは民法上の監督義務は負わない、➁家族が患者とどう関わっていたかを総合判断する必要がある、➂今回の事例では家族は努力しており、男性の徘徊を防ぐのは困難だった、従って賠償責任はないというものだ。


「大変あたたかい判断をいただいた。良い結果に父も喜んでいると思う」という長男のコメントにも見られるように、家族に厚く配慮した同判決は、多くの人の賛同を得たはずだ。しかしそれだけでは済まない要素があるのではないか。

 

いま認知症の人は65歳以上の層で7人に1人、あと10年もすれば5人に1人まで増える。これからも、この種の事故は起き続ける。もはや他人事ではないこうした事例について私たちはどう考えればよいのか。

 

弁護士の鈴木利廣氏は薬害エイズ裁判の原告代理人を務め、薬害防止に大きな足跡を残した。氏は、今回の問題を次のように語る。


「1番の被害者は亡くなったご本人です。そう考えれば鉄道の危険性をもっと明確に認識してJRの責任を問わなければならないと思います。高齢化社会においてはリスク要因は増え続けます。鉄道も含めて、リスクをどうコントロールするかという視点が強調されるべきです」

 

鈴木氏の見方は厳しいが、事故はJRの落ち度から起きたのだろうか。JRは事故防止のための適切な対策をとっていなかったのか。この点について、今回の裁判ではJR側の対策への批判はない。JR側はこれまで講じてきたさまざまな事故防止策が認められたとの見方をとっており、評価は分かれる。

 

判決の結果、監督義務者が特定されず、損失はJRが引き受けた。亡くなった方の命に思いを致しながらも、家族が免責されたあとは、企業が事実上の責任をとるということで果たしてよいのだろうか。この点について弁護士の清水勉氏が語った。


「私たちはいま、人類が初めて体験する超高齢化社会に生きています。その中で、責任能力を失った人たちを一体誰に委ねるのかが問われたわけです。

 

鉄道会社を巻き込む事故としては小さな子供さんの事故、今回のような認知症患者の事故に加えて、投身自殺というケースもあります。企業としては当然、リスクを計算しなければなりません。しかし、このようなリスクを鉄道会社だけに負わせるのは無理です。政府だけに負わせるのも、個人、つまり家族に負わせるのも駄目です。

 

現実を見れば、私たちの社会はまだ、こうした問題に向き合えていないのです。今は誰かが犠牲になっている。それは誰もが犠牲になり得るということです。今後は、誰も犠牲にならない社会にする必要がありますが、これは簡単なことではありません」


「責任の空白」

 

今回の判決では、長年親と別居していた長男には監督義務はなく、従って賠償責任もないとされた。この点について鈴木氏は次のように懸念する。


「関わらないことが免責につながると拡大解釈されるのは危険です。精神障害者は病院に入れてしまえということになりかねません。しかし、そんな社会を望む人はいないでしょう」

 

清水氏も語る。


「離れていれば監督責任を問われないなら、年老いた親は施設に入れればいいということにもなりかねない。これが解決策だとはとても思えないですね」

 

そのような社会にしないためには家族の存在、家族との関わりが非常に大事だという価値観をきちんと共有しなければならないのではないか。

 

その意味で、離れて暮らしているから監督義務はないとの考え方は、放置を推奨しかねない。家族としての責任、或いは家族の絆について、もう少し別の考え方をする方が、互いによいのではないか。

 

家族にはやはり責任があるのではないかと、私は思う。そのうえで、家族もするべきことはした、その家族に責任をとらせるのは忍びない、従って賠償責任は免ずるという考え方はできないものか。「責任の空白」を作らない方が、社会としても個人としても、落ち着くのではないか。

 

そのうえで、実際、こうした事故や病気を含めて超高齢化の道を選んだ私たちがとれる対策は何か。清水氏も鈴木氏も、そして私も考えたことは2つ、家族を含めた社会の皆が助け合う、保険制度を充実させる、である。実はこれが、日本と日本人のよさを生かす道だとも思う。

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