闘うコラム大全集

  • 2016.04.21
  • 一般公開

ヤルタ協定が招いたモンゴルの悲劇

『週刊新潮』 2016年4月21日号

日本ルネッサンス 第701回


「日本はかつての植民地や勢力圏の国々に対して、もっと積極的に関与していった方がいい。フランスのように、旧植民地に対して責任ある前向きの関与があった方がいい」

 

こう語るのは静岡大学教授の楊海英氏だ。氏は南モンゴル(内モンゴル)のオルドスという高原で生まれた。これまでに『チベットに舞う日本刀』(文藝春秋)、『墓標なき草原─内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上下)』(岩波書店)でそれぞれ、樫山純三賞及び司馬遼太郎賞を受賞した。樫山純三賞は現代アジアについて独創的で優れた著作に与えられる賞である。

 

文化人類学者としての綿密な現地調査に基づく『内モンゴル自治区の文化大革命 モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料』(風響社)では、楊氏は第8巻までの出版で、7000頁以上にわたって政府の公文書や被害者報告などを収録している。

 

モンゴル、中国、日本の歴史を丹念に辿る著者がいま、日本は朝鮮半島、台湾、旧満州そして内モンゴルなどにもっと関与せよと言う。


「こんなことを言うと、いや、そうじゃない。もっと反省しろ、反省が先だと言い出す人が必ずいます。しかし、反省だけでは問題解決になりません。国際情勢を見れば、日本はやはり、いま建設的に関与していかなければならないと思います」

 

楊氏は中国における民族問題をモンゴルとウイグルの視点から論じ、日本の「関与」がなぜ必要かを少しずつ明らかにしていく。


「近代における南モンゴルは中国と日本の二重の植民地だったと、モンゴルの政治家や知識人は理解しています」

 

正しくは内モンゴルは日本の植民地ではなく、日本の勢力圏だった。しかし、後述する理由で、モンゴルの知識人たちは、よい意味での植民地だったと感ずるというのだ。


「永遠に」残る中国

 

漢人は19世紀末から一方的にモンゴルの草原に押し寄せ、モンゴル人から土地を奪い開墾した。土地を獲得した彼らの中に、いつしか虐殺は裕福になるための手段だとでも考えるような精神的土壌が出来上がっていたと、氏は『墓標なき草原』で指摘している。モンゴル人が抵抗運動を始めたのは当然だった。そのモンゴルに日本が登場したのは日露戦争以降のことだ。1932年には満州国を建てた。


「満州国で日本は国民学校から大学まで多くの学校をつくりました。モンゴル人は初めて系統的な近代教育を受け、優秀な学生は東大も含めて日本の大学に留学しました」

 

多くの教育機関の中でも特に人気が高かったのが陸軍士官学校だったと楊氏は語る。詳細は氏の近著『日本陸軍とモンゴル』(中央公論新社)に譲るが、それにしても楊氏の指摘は、満州国建国を含む戦前の日本の行いはおよそ全て悪だったとする歴史観に基づけば、思いがけないことばかりであろう。その点を、氏はこう説明した。


「日本の学界では植民地は悪だという歴史観が主だと思いますが、モンゴル人の見方は異なります。日露戦争以降、新たに登場した近代国家・日本の協力を得て、我々は中国から独立したいと考えた。アジアの殆んどの国が西欧の植民地からの解放を目指しましたが、中央ユーラシアの遊牧民が目指したのは中国からの独立でした。遊牧民にとってロシアは仲間で、日本は頼りになる存在でした。それがモンゴルの歴史の真実です」

 

だが、敗戦で日本は撤退し、代わりに中国が「永遠に」残ることになったと、氏は嘆くのだ。

 

49年の中華人民共和国樹立以降は、漢人が以前にも増して内モンゴルへ大量入植を始める。49年時点でモンゴル人は80万人、中国人は250万人だったが、現在、漢民族は3000万人に達するという。

 

内モンゴル人がどれ程過酷な弾圧を受け、虐殺されてきたかについて氏は詳細には語らなかったが、『墓標なき~』ではこう記している。


「内モンゴルに侵入して殖民地を創った外部勢力は中国(漢人)と日本である。モンゴル人を(内モンゴルと外モンゴルに)分けて統治したのも中国と日本で、大量虐殺を働いたのは中国のみである」

 

楊氏は、文化大革命(1966~76)開始から50年に当たる今年、『中国文化大革命と国際社会』という論文集を発表した。その中で、南米、インドネシアなどの東南アジア、ネパール、日本、フランス、イギリス、アフリカ諸国など、中国が如何に多くの国々に干渉し、革命思想を輸出してきたかを描いた。


「非常におかしいと思うのは日本の学界でもメディアでも、かつて文革を熱烈に支持し高く評価した人たちが死んだ振りをしていることです」

 

中国分析や報道で誤っていたという事実に、向き合っていないとの批判であろう。間違いをきちんと分析することなしには、再度、日本の中国研究が間違った方向に行く可能性があるという懸念でもあろう。


民族自決

 

楊氏は、日本人は歴史問題に占めるヤルタ協定の重要性を忘れているとも指摘する。45年2月に米英ソの3国が結んだヤルタ協定について、ブッシュ米大統領は戦後60周年の05年、ラトビアの首都リガを訪れ「アメリカが犯した最も深刻な間違いだった」と語った。戦後の国際社会の枠組みを米英ソで決めたのがヤルタ協定であり、米大統領のフランクリン・ルーズベルトはスターリンを対日戦争に引き入れるために過剰な譲歩をし、共産主義の本質を見誤ったという意味である。

 

ヤルタ協定で「樺太の南部」も「千島列島」もソ連に引き渡すべきだとされ、これは今日の北方領土問題に直接つながっている。さらに民族の自決、独立という視点から見てもおかしいと、楊氏は語る。

 

自由主義陣営が植民地にした国々は、戦後、民族自決を果たしたが、スターリンや毛沢東が支配したところはそうではないからである。


「ソ連は崩壊して中央アジア5か国は独立できました。それで民族自決が実現したと思います。ただ、現在、唯一、植民地的といってよい支配が終わっていないのは、或いはその種の支配を強化し、拡大しているのは中国です。南モンゴル、ウイグル、チベットだけでなく、下手をすればラオスやアフリカ諸国が中国の事実上の植民地にされてしまう。沖縄も例外ではない危険があります」

 

前述のように今年は文革から50年、さらにソ連崩壊から25年である。来年がロシア革命から100年。共産主義勢力のもたらした弊害と共に、ヤルタ協定の意味を掘り下げることが、21世紀も続く中国の植民地的支配に苦しむ内モンゴルなどへの支援につながるのではないか。それが楊氏の言う、旧勢力圏に対して日本が果たすべき「積極的な関与」ではないかと思う。

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