闘うコラム大全集

  • 2016.05.19
  • 一般公開

米国にトランプ政権か、混沌への対策

『週刊新潮』 2016年5月19日

日本ルネッサンス 第704回


無論、11月の本選挙で民主党大統領候補との一騎討を制しなければならないが、共和党の指名獲得を確実にしたドナルド・トランプ氏がまた一歩、米国大統領の座に近づいた。5月中旬の現時点で、アメリカの次期大統領が誰になるかを予測するのは不可能だが、それでも、トランプ氏への高い支持の理由と、第45代大統領に就任した場合の氏の政策の分析が急がれる。

 

トランプ氏の主張をほぼ全てのメディアが批判し、泡沫候補と位置づけたが、5月3日のこれまで、アメリカメディアの予測はおよそ悉く覆された。「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)やNBCによる合同世論調査では65%の人々がトランプ氏に拒否感を抱き、好感しているのは24%にとどまるが、その人物がいま、指名獲得を決定的にした。大手のメディアも政治家も指名決着は7月の党大会の場だと見てきたのが、2か月も早い5月初頭に、テッド・クルーズ上院議員、ジョン・ケーシック・オハイオ州知事が降りて、トランプ氏だけが残った。下院議長として共和党の最高位にあるポール・ライアン氏は、この速い展開を予想していなかったのか、CNNの取材に、「まだそれをする(トランプ氏の候補者指名を支持する)準備はできていない。まだそこまでいっていない」と語り、「保守の人々が知りたがっているのは、彼が我々の価値観を共有し、我々の原則を支持するのかということだ」と強調した。

 

トランプ氏は直ちに反論した。


「私もライアン氏のアジェンダを受け入れる準備はできていない」

 

トランプ氏は元々、共和党を含めワシントンの既存政治を否定し、激しく非難することで支持を伸ばした。であればライアン氏の注文に耳を傾け、ワシントン主流派の価値観に殊更同調するなど期待はできまい。候補者がトランプ氏一人になり、対民主党で党の団結が大事だと強調され始めた局面でも、トランプ氏が既存勢力になびくことは考えにくい。


「アメリカ第一」

 

トランプ氏は声高に問い続けている。なぜ、アメリカ人の税金で日本や韓国を守らなければならないのか、なぜ北大西洋条約機構(NATO)軍の維持費(の70%)をアメリカが支払わなければならないのかと。

 

日本にも韓国にも、アメリカ軍の駐留費全額を支払わせるべきだと主張し、払わないのなら、米軍撤退がよい、北朝鮮が核を保有するいま、日本も韓国も自国防衛のために独自の核保有を考えよと言う。

 

核拡散防止条約(NPT)体制の維持を建前とする国際社会の現状下では乱暴な議論である。とりわけ日本にとっては現実的ではない。なぜなら、アメリカが作った現行憲法の下では、自衛隊を真の意味での軍隊とする十分な論拠がない。自衛隊は通常の民主主義国の通常の軍隊として行動することさえ許されていない。核兵器の保有も同様だ。

 

しかし、トランプ氏にとってそんなことは日本の都合なのである。日本は自分で防衛せよ、これ以上のアメリカの負担は真っ平で、「アメリカ第一」だと、繰り返す。


「アメリカ第一」という表現は1930年代から40年代にチャールズ・リンドバーグが、アメリカはヨーロッパの戦争に巻き込まれてはならないとの立場から主導した考えを象徴した言葉だという。リンドバーグは27年に一人小型機に乗り込み、初めての大西洋横断飛行を無着陸で成功させ、英雄となった。


「アメリカ第一」は、今に始まったのではなく、アメリカ社会の基調として存在してきたし、今も存在している考え方である。

 

そうした中で、もし氏が大統領に就任すれば、「まともな」ブレーンが周囲に集まり、自ずと軌道修正が図られるとの見方がある。本当にそうか。政権交代の持つ意味は日本とアメリカでは大きく異なる。日本では実際の政策立案には霞が関の官僚が決定的影響を及ぼす。彼らは政権が代わっても各々の役所に居続ける。良くも悪しくも日本政治の継続性は守られる。無論、問題はある。安倍政権の、たとえば慰安婦問題に関する外交政策に見られるように、政治指導者の唱える政策や理念を官僚が無視したり否定したりする場合がある。日本では政権交代が起きても政治は中々変わらないのである。

 

他方、アメリカでは政権が代わると各省の役人が大幅に交代する。ホワイトハウスの回転ドアから出ていく人、入ってくる人は6000人に及ぶといわれる。

 

既存の政治と決別する構えを見せるトランプ氏の下に、同じ方向性を持ったブレーンたらんとする人々が結集し、トランプ氏の考え方に沿って、アメリカの政治が変わると考えなければならない。


価値観よりも実利

 

ちなみに氏は中国産品に45%の関税をかけると言う。それが実施された場合、どうなるか、予測可能な前例が、実はある。09年、アメリカは中国製タイヤに最大35%の関税をかけ、中国はアメリカ産鶏肉の輸入に関税をかけて報復したが、結局、米国でのタイヤ生産は増えず、中国産タイヤのかわりにインドネシア、メキシコ、タイからの輸入が急増したと、5月4日、WSJ紙が報じていた。

 

アメリカの対中輸出は1160億ドル(1ドル110円換算で約12兆8000億円)、対して中国からの輸入は4820億ドル(約53兆円)で、アメリカの大幅な貿易赤字だ。

 

ビジネスマンのトランプ氏はこの赤字を大幅に減らす仕組みや妥協を中国から勝ち取ることができれば、対中姿勢を一変させる可能性がある。価値観を横に置いて、実利を軸に米中が手を結ぶことも大いにあり得る。

 

アシュトン・カーター国防長官は5月3日、ドイツのシュツットガルトで「モスクワは時代に逆行している」として、「ロシアが核兵器の使用さえ示唆する表現を用いることは現行秩序への挑戦である」と不快感を表明した。

 

そのロシアのプーチン大統領とも、トランプ氏は関係改善の意欲を示している。国際法の遵守や平和的話し合いによる問題解決を重視してきた国際社会の在り方が根本から変わる可能性が見てとれる。

 

そのような兆候を見せるトランプ氏を、一定のアメリカ世論が支持している事実に私たちは注目しなければならない。トランプ氏がジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件と関連させる文脈でクルーズ氏の父親について語ったとき、共和党支持者たちの42%が最も不公正なキャンペーンをしたのはクルーズ氏だと答えた。トランプ氏の方が不公正だと答えたのは38%だった。この現実と、私たちは向き合わなければならない。

 

容易に読めない未来展望だが、防衛力を強化し、日本こそが価値観重視の外交の主役として国際社会に強いメッセージを発する絶好の時だ。

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