闘うコラム大全集

  • 2013.04.13
  • 一般公開

日本人に生まれたことを幸せと感じられた光景

『週刊ダイヤモンド』   2013年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 981


3月28日、熊本県菊池市を訪れた。美しく平和な佇まいの中、あちらにもこちらにも驚くほど多くの桜の森があった。

津々浦々、日本には本当に多くの桜の名所がある。けれど、菊池にはとりわけ心引かれる美しさがあり、昔からの日本人の素朴な心の温かさが今に伝えられている気がした。

菊池では毎年4月の第1週のころに、咲き匂う満開の桜の下、地区ごとに総出で墓地に集まり先祖祭りをするのだそうだ。だから菊池ではお墓というお墓に多くの桜の木が植えられている。否、お墓だけではなく、どこもかしこも、野にも山にも街道筋にも川堤にも、ちょっとした空き地にさえも、あらゆるところに桜が植えられている。地域全体が花に包まれているのだ。

案内の芹川大毅さんが語る。

「僕はしばらく菊池を離れて関西にいたんですが、時期が近づくと必ず親から電話がかかってくるんです。先祖祭りだよって。急いで戻ってきて、若い衆の一人として準備をします。皆でごちそうや美酒を持ち寄り、花の下でご先祖と一緒に一日飲み明かすんです」

地区によっても異なるが先祖祭りに集う人々は50~100人規模だという。菊池の人口は約5万4,000人、その多くの人々が声をかけ合って集まる。故郷を離れていても人々は忘れずに誘いをかける。そしてご先祖さまと一緒に待ちに待った桜の花の下で一日を過ごす。心がほっと和むすてきな話である。

もう一人の案内役、小佐井美保さんが菊池の法事について語った。

「家族だけでなく隣近所、ゆかりのある人たち全員をお招きして、数十人単位のにぎやかな供養をします」

先祖祭りにも法事にもお酒がつきものである。熊本県人は飲みっぷりも豪快である。小佐井さんに酒量を尋ねると、「1升でとめておく」とのことだった。なんと見事なこと、いつの日か共に心ゆくまで飲んでみたい。

菊池で生まれ、あるいは育ち、あるいは縁あって引っ越してきた人たちが皆、ご先祖を介してつながっていく様子が目に見えるような気がした。亡くなった方々の霊魂が、生きている人々の縁を深めてくれる。物語のように不思議な世界である。こうした精神世界は、大都会に住んでいると、どこか遠い世界のことのように思える。けれど、これこそ本来の日本人の宗教観であり、生き方死に方だった。

先週、私は当欄で日本人の死生観が変化してきていることを、少し、嘆いた。先祖を祀(まつ)る心が薄れて、お寺の存在感がなくなりかけているのではないかと書いた。そうした現象は確かにあるにはあるが、そのように嘆く気持ちは菊池に行って吹き飛んだ。ここには、そしてその他の多くの日本の各地には、先祖祭りのような風習がきちんと生き続け、私たちのよき伝統は確実に伝えられていると実感した。

菊池神社に詣でた。なだらかな山々が連なるその山上近くに建立された菊池神社は「万本桜」でも知られている。高台から見渡し、うなり、感動した。呆然としたといってよいだろう。それはそれは美しく、地上の浄土かしらと思うほどだ。花が咲き、鳥が鳴き、子供たちが戯れ、散る花びらを浴びながら大人たちがゆったりと見つめている。

明るい日差しの下、はるかかなたの山々の峰まで薄桃色の桜の花に染まっている。そして山々のなだらかな斜面のそこかしこにお墓があった。お墓はどれも皆、桜に囲まれ、陽光の中で墓石に花びらが散り落ちていた。ご先祖の霊が皆、桜の花吹雪を楽しんでいたのである。

なんという幸せな光景か。美しい満開の桜、爛漫の春の喜びが溢れる中での安らかな眠りこそ、日本人が描く死後の世界のイメージである。少なくとも私はそう思い、しみじみと、日本に生まれたことを幸せだと感じた。

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