闘うコラム大全集

  • 2013.05.09
  • 一般公開

東北に医学部新設で医師不足解消

『週刊新潮』 2013年5月2日・9日号
日本ルネッサンス 第556回


東日本大震災から2年以上が過ぎたというのに、破壊された故郷に戻っている人の数は決して多くはない。故郷再生を願っていち早く戻った人々が、ここで暮らしていけるのかと心配する事柄の中に、インフラの問題がある。中でも、医療体制の崩壊は深刻である。

元々、大震災前から東北地方の医療は疲弊していた。震災が一層拍車をかけた。壊滅的な被害を受けて立ち直れないまま、多くの病院・診療所が廃止や休止に追い込まれ、医師の流出はいまも止まらない。

まさに医師不足と医療崩壊が復興を妨げている。昨年2月下旬、被災3県の16沿岸部市長が連名で東北に医学部を新設してほしいと政府に要望した背景には、こうした切迫した事情があった。

東北の医師不足を憂い、かねてより東北版自治医大創設を提唱してきたのが仙台厚生病院理事長の目黒泰一郎氏である。氏の提案は、実は東日本大震災の2ヵ月前に行われていた。震災、政権交代によって中断されて今日に至るが、震災後、ますます疲弊していく地域医療を目の当たりにして、氏は再び強調する。新しい医学部を創り、医師を増やすことがどうしても必要だと。

氏の東北版自治医大構想は年に約100名のうち30名の医学生を奨学金で育て、彼らを東北各地に派遣し、約10年働いてもらうというものだ。奨学金で育成するかわりに一定年月、地域の病院で働くことを義務づける。奨学金は彼らを受け入れる病院が返済し、新たな奨学資金として次の学生たちに支給される。

牡鹿半島の寒村で生まれた目黒氏は、自身が医師となって社会に貢献出来る立場に立てたのは、本当に多くの人々のお陰であり、新たな医学部創設と奨学金制度の確立は、自分を育ててくれた社会への恩返しだと考えている。そのために、氏が理事長を務める仙台厚生病院と合わせて、医学部新設に必要な約200億円も寄付したいという。

「3人1組」

氏の構想に従えば、若い医師たちは地域医療への貢献を義務づけられるが、それは彼らにとっても充実した体験になると、目黒氏は語る。

「まず大事なことは、若い医師を地域病院に派遣するとき、1人では行かせないことです。3人1組を基礎単位として送ります」

自治医大は、たとえば1県に1人という形で医師を過疎地域に派遣する。ポツンと1人で派遣されれば相談する先輩もいない。専門外の病気も診なければならない。経験不十分の若い医師には不安と孤独がついて回る。真面目な医師ほど疲弊する。それほど真面目でない医師は手抜きをする。いずれにしても長続きしない。患者にとっても不幸である。

だが、3人1組なら、支え合い、相談も出来る。医師は定期的に学会に参加する必要があるが、仲間がいれば、順番に学会にも出張出来る。さらによいのは、3日に1度は緊急呼び出しを受けずにぐっすり休める。人間らしい休養をとれる。

この構想は実は仙台厚生病院の成功体験に裏打ちされている。同病院は長年、同じ仕組みで医師たちを小さな病院に送り出してきた。いま、5チームが各地域で活躍中だ。

「これが非常にうまくいっているのです。若い医師を送り出すとき、私は彼らに約束します。約10年地域で働き、40歳に近づいたら必ず仙台に呼び戻す。週に1度程、地域の病院に指導に行ってもらうかもしれないが、30代後半から40代以降は自分の専門性を高めて腕を振るってもらう。仙台に住んで、就学年齢になった子供たちに高水準の教育を受けさせることも出来る。このように約束し、守ってきました。またわが病院の給料は高いですから、医師たちは仙台に戻ると皆、立派な家を建て定住します。後輩の医師たちはそのような姿を見ていますから、安心して過疎地域に行ってくれます」

「医師になる人たちは元々、病気の人を助けたいという思いで医学を志すわけです。ですから過疎地でも、自分が頑張ってこの人たちを助けているんだと実感出来ることは、この上なく、嬉しい。彼らが孤立したり疲弊したりするような状況を回避する仕組みさえ作れれば、彼らは必ず、やってくれます」と、目黒氏。

医師を増やさなければ、この制度は実現しない。そのために新たな医学部が必要だと氏は主張する。だが、医学部新設には強力な反対勢力が存在する。日本医師会と全国医学部長病院長会議(AJMC)である。

「両者共に、医師の不足は都市部などへの医師の偏在などが原因で、また、日本は人口減少期に入るから、間もなく医師過剰になるなどと、反対理由を言います。けれど舛添要一氏が厚労大臣のとき、政府は医師の絶対数の不足を認めています」

医師会はTPPにも混合診療にも強く反対してきた。その守りの姿勢は真に患者のためかといえば、疑問であり、既得権益擁護ではないかと疑う。とりわけ医師不足は患者の命にかかわる重大事である。

屈辱的な状況

そのことの深刻さを最も切実に理解しているのが地方自治体の首長であろう。彼らは住民のために地域医療を充実させようと日夜頭を痛めている。医師を確保出来ず、止むなく診療休止や閉院に追い込まれている現実を切実に受けとめている。彼らはしかし、政治家であるから、選挙のときに票を動員出来る医師会にはとりわけ気を遣う。だが、冒頭で触れたように、昨年2月、東北3県沿岸部の16自治体の市長全員が一致して、医師会の反対にも拘わらず、東北での医学部新設を政府に要望した。事態はそれほど深刻なのだ。

目黒氏がさらに指摘した。

「いま日本の医学界に突きつけられているのは、2023年までに日本の医学教育が国際標準に改められない限り、日本の医学部の学生は米国の医師国家試験を受けられなくなるという問題です」

これは、10年後、米国で医療行為を行うための資格、ECFMGを申請するには、世界医学教育連盟や米国医科大学協会など、国際的に認められた基準を満たす医学部で教育を受けることが必要になるという問題である。有り体にいえば、このままでは日本の医学生は、米国で医師として働くための資格試験さえ受けられないということだ。

こんな屈辱的な状況に陥った日本の医学教育について、AJMCは「日本の医学教育の質が劣っているわけではない」と弁明した。目黒氏は医学部新設が認められれば、それを好機として、早速、国際水準を満たし、世界に誇ることの出来る医学教育を実現したいと抱負を語る。東北の地で医学者としての志を体現すべくこの上なく誠実に頑張っている目黒氏に、私は心からのエールを送るものだ。

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