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闘うコラム大全集

2017.05.13号
戦後70年を経て再演された「海道東征」と根源的な自然の力宿す高千穂の巡り合わせ

『週刊ダイヤモンド』 2017年5月13日号

新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1181


過日、偶然が重なって日本をお創りになった神々の世界に触れることができた。感動の重なりで心が充たされる経験だった。

 

4月19日、東京で「産経新聞」主催のコンサートがあり、初めて「海道東征(かいどうとうせい)」を聴いた。周囲の人たちに尋ねても海道東征のことを知っている人は多くはなかった。私とて詳しいわけでは、全くない。

 

これは昭和15年に日本建国2600年を祝って北原白秋作詞、信時(のぶとき)潔の作曲で作られた交声曲だ。

 

しかし、日本が敗戦すると、この作品は軍国主義に結びつけられ、全く演奏されなくなった。戦後、海道東征が再び演じられたのは、戦後70年が過ぎた大阪でのことである。今回は、従って関東では戦後初めての演奏だ。


『古事記』は、日本国の誕生を、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の国生みから始まり、天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降り立つ物語として伝えている。

 

神々の住む天上の世界、高天原(たかまのはら)から日向の国の高千穂の峰に降り立った瓊瓊杵尊のひ孫の神様たちが、高千穂の山を後にし、東に進んで大和朝廷を開いた。それが日本の皇室の始まりであり、初代天皇が神武天皇である。海道東征はこの日本誕生、民族生成の物語を描いている。

 

海道東征を堪能した3日後、私は高千穂に出かけた。1年以上前から決まっていた日程である。それにしてもなんという偶然だろうか。朝一番の便で熊本空港に飛び、そこから2時間、車で走った。途中、阿蘇連山を見ながら平野を走り、幾つも山を越え、里を過ぎ、川を渡った。街道沿いに水仙が咲き乱れ、芝桜が色鮮やかに広がる。八重桜は満開だった。山々は萌え出る若緑におおわれ笑っていた。その山々の新緑を駆け抜ける道中だった。

 

そして辿り着いた所が、まさに海道東征の起点、日本の神々の故郷だった。瓊瓊杵尊は天上の世界を離れ「群臣を率いて八重にたなびく雲を押しわけ、威風堂々と日向の高千穂の二上(ふたがみ)の峰にお降りになった」と『日向国風土記』は伝えている。

 

高千穂神社の宮司、後藤俊彦氏の案内で同神社を参拝した。後藤氏は二上山に加えて、もうひとつ、「記紀」が伝える降臨の地に「槵触(くじふる)岳」があると説明した。高千穂神社は二上山と槵触(くじふる)の峰を結ぶ中間に位置するそうだ。

 

この神社は、瓊瓊杵尊をはじめ、神武天皇までの神々を御祭神とし、天照大御神を祭る伊勢神宮と同時代に建てられたという。ということは約1700年前のことである。

 

高千穂神社は長い長い時を経て、清らかな姿で建っていた。山の上の平地、即ち山頂であるために境内は決して広くはない。そこに樹齢800年の杉の大木がどっしりと立っている。思わず木肌に触れてみた。あたたかい。ずっと日本を見詰め、守ってきてくれた、神宿る大木のあたたかさである。

 

高千穂神社を戴く峰を下って、すぐ隣りの峰といってよい所に槵触(くじふる)岳がある。登ると、地上に降り立った神々が、高天原を仰ぎ見たという「高天原遥拝」の地もある。

 

高千穂の街を歩けば、至る所に神話が満ちている。深い山々はそれ自体が神々の存在を実感させる。清らかな水の湧き出る様子は、人も里も神々に抱かれていることを感じさせる。

 

高千穂はそれ自体が根源的な自然の力を宿す場所だ。神々の生きた世を現在に伝える地でもある。敢えて言葉にせずとも、自然と共にある日本の国柄を実感させてくれる地である。どの人にもぜひ一度ゆっくりと訪ねてみてほしいと思う。

 

海道東征の鑑賞と高千穂行きが同時に起きたこの巡り合わせは、日本をお創りになった神々が、もっと深く日本を知りなさい、感じなさいと、励まし配慮して下さっているからだろうと、私は深く感じ入っている。



櫻井よしこ


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