闘うコラム大全集

  • 2017.06.15
  • 一般公開

世界の安定剤、マティス長官の安全観

『週刊新潮』 2017年6月15日号

日本ルネッサンス 第757回


毎年シンガポールで開催される「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)」は、世界の安全保障戦略で何が一番の問題になっているかを知り、大国の思惑がどのように交錯しているかを知る、極めて有意義な場である。今年は米国防長官、ジェームズ・マティス氏が演説を行った。

 

トランプ大統領が、ロシア問題で追及され、身内のジャレッド・クシュナー大統領上級顧問までもが疑惑を取り沙汰されている。そうした中、軍人として培った揺るぎない安全保障観を披露したマティス国防長官は、国際社会の安定装置として機能しているかのようだ。

 

6月3日に行われた氏の演説の内容は予想を超える率直さだった。敢えてポイントを2つに絞れば、➀アジアの同盟諸国への固い絆の再確認、➁中国には断固たる姿勢を取る、ということになるだろう。

 

まず、アジアの安全保障についてマティス氏は、アメリカが如何に国際法順守を重視しているかを強調した。

 

アジアの安全保障が国際法に基づいて担保されるべきだとの考えは、世界恐慌とそれに続く第二次世界大戦の凄まじい体験から学びとった教訓だと、マティス氏は強調する。氏は演説で人類の戦いの歴史にさり気なく触れたが、蔵書6000冊を有し、その大半が戦史に関する著作だといわれる氏の、国家と国家の摩擦としての戦いや、その対処の原理についての、奥深い理解を感じさせる。

 

氏は語っている。国の大小、その貧富に拘らず、国際法は公平に適用されるべし、と。海の交通路は全ての国々に常に開かれ、航行及び飛行の自由が保たれるべきだという価値観は、時代を通して守られてきたとマティス氏は語る。その自由で開かれた世界を、アメリカはこれからも担保するのだと。

 

同じ趣旨を、表現を変えながら、マティス氏は繰り返した。講演録を読むと、国際法の重要性を説いた段落が幾つも続いている。


「航行の自由」作戦

 

それらの発言が中国に向けられているのは明らかである。マティス氏がこれ程、或る意味で執拗に、国際法や航行の自由について語ったのは、アメリカは北朝鮮問題で中国に協力を求めても、南シナ海、東シナ海、台湾などの他の重要な地域問題で従来の基本的立場を譲るつもりは全くないと示しているのである。マティス氏は、中国について前向きに丁寧に言及しながらも、要所要所で釘をさしている。


「トランプ政権は、朝鮮半島の非核化に向けての国際社会の努力に中国がコミットメントを再確認したことに安堵している」「(4月の米中首脳会談で)習近平主席は、全ての関係国が各々の責任を果たせば、朝鮮半島の核の問題は解決されるはずだと語った」と、紹介したうえで、マティス氏は述べた。


「自分は習近平主席に全く同意する。大事なのは、そうした言葉は行動によって本物であることが確認されなくてはならないということだ」

 

中国に強い口調で迫っているのである。中国よ、言葉はもういい。実行によって証明せよ、制裁を強化せよと要求しているのである。

 

約30分の演説の中で、マティス氏は南シナ海の問題についても、中国の建設した人工島を批判しながら言及した。主旨は、➀中国の行動は国際社会の利益を侵し、ルールに基づく秩序を揺るがすもので、受け入れることはできない。➁人工島の建設とその軍事化は地域の安定を損ねる。

 

氏の一連の発言に、質疑応答で、多くの質問者が率直な謝意を表した。国防長官の発言は「希望をもたらす」とまでコメントした人がいた。膨張する中国が恐れられ、嫌われているのとは対照的に、強いアメリカが望まれているということだ。

 

トランプ政権発足以来約4か月が過ぎた5月下旬、ようやく南シナ海で「航行の自由」作戦を行った。北朝鮮問題で中国に配慮して南シナ海とバーターするのではないかという懸念の声さえささやかれていたときに行われた「航行の自由」作戦は、オバマ政権のときには見られなかったアメリカの断固たる意志を示すものだった。

 

スプラトリー諸島のミスチーフ礁に建設された人工島の近く、中国が自国の領海だと主張している12カイリ内の海で、「航行の自由」作戦は、中国への「事前通告」なしに行われた。オバマ政権時代に4回行われた「航行の自由」作戦と、今回のそれには全く異なる意味があった。今回は、通常は公海で行う海難救助訓練を行ったのだ。


「米中接近」はない

 

中国の主張など全く認めないという姿勢を示したのだが、この訓練には中国も反対しづらい。なぜなら、それは「人道的な」海難救助だったからだ。

 

非常に慎重に考え抜かれた緻密な作戦を決行したことでアメリカは、人工島を建設しても中国は領海を拡大することはできないと示したのだ。アメリカの考えは、まさに常設仲裁裁判所がフィリピン政府の訴えに対して出した答えと同じものだった。

 

もうひとつ、非常に大きな意味を持っているのが、マティス氏がパートナー国との関係を継続していくとする中で、インド、ベトナムなどに続いて台湾に触れたことだ。


「国防総省は台湾及びその民主的な政府との揺るぎない協力を継続し、台湾関係法の義務に基づいて、台湾に必要な防衛装備を提供する」と、マティス氏は語った。

 

トランプ大統領が北朝鮮の核及びミサイル問題で中国に配慮する余り、南シナ海や台湾への配慮が薄れて、台湾も事実上見捨てられるのではないかという懸念さえ、生れていた。そのような疑念をマティス氏の発言はさっと拭い去った。

 

米国防長官としては異例のこの発言と、それを支える戦略的思考が、トランプ政権の主軸である限り、台湾や日本にとっての悪夢、「米中接近」はないと見てよいだろう。

 

会場の中国軍人が直ちに質問した。「中国はひとつ」という米中間の合意を覆すのかと。マティス氏は「ひとつの中国」政策に変更はないと答えたが、蔡英文総統は独立志向が高いと見て、台湾に軍事的圧力を強めるようなことは、アメリカが許さないという強いメッセージを送ったということだ。

 

アメリカの政策は読み取りにくい。マティス発言に喜び、トランプ発言に不安を抱く。トランプ氏は基本的にマティス氏らの進言を受け入れているかに見えるが、究極のところはわからない。だが、マティス氏ら手練れの兵(つわもの)が政権中枢にいる間に、わが国は急いで憲法改正などを通して、国の在り方を変えなければならないと、心から思う。

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