闘うコラム大全集

  • 2017.07.20
  • 一般公開

世界の指導者になれない残酷な中国

『週刊新潮』 2017年7月20日号

日本ルネッサンス 第762回


これまで多くの首脳会議の集合写真を見てきたが、アメリカの大統領が端に立っている場面は思い出せない。その意味でドイツ・ハンブルクで7月7日から開かれた主要20か国・地域首脳会議(G20サミット)の集合写真は印象的である。


前列ほぼ中央にアンゲラ・メルケル独首相が立ち、その左に中国の習近平主席、さらに左にロシアのウラジーミル・プーチン大統領が立った。ドナルド・トランプ米大統領は前列の端から2人目、中央から離れて立った。自由主義陣営の旗手が片隅に立つ姿は現在の世界の実情を投影しているように私には思えた。


G20で改めて明らかになったのが、大国主義で傍若無人の中国の強気と、中国に目立った抗議をしない各国の対応である。トランプ大統領はドイツ入りする直前、ポーランドを訪れ、「ポーランド国民の自由、独立、権利と国家の運命」について語り、固い絆で支援すると演説した。G20を、自由主義陣営とそうでない中国・ロシア陣営との価値観のぶつかり合いの場ととらえての演説だったのか。だがその言は果たしてどの程度まで行動に反映されているのか。ノーベル平和賞受賞者で、服役中に肝臓ガンにかかり、今や重体に陥った劉暁波氏の案件を、このG20でアメリカも欧州も取り上げてはいない。


中国が劉氏の病状を発表した6月26日、氏はすでに末期だった。たとえ助からなくても、外国で治療を受けたいと氏は願ったが、中国政府が出国を許さない。7月8日までに米独の専門家が劉氏を診察し、氏の容態の「急速な悪化」が報じられた。化学療法も停止されたという。


欧米諸国、とりわけアメリカは人権問題に強い関心を持ち、中国にも厳しく対処してきた歴史がある。それが世界の尊敬と信頼を集める理由でもあった。しかし、トランプ政権からは、人権問題に真剣に取り組む姿勢は見えない。欧州を牽引するドイツもまた、人権問題よりも中国との経済協力に、強い関心を示している。ドイツが主催した今回のG20でも人権問題は殆ど表面化せず、習主席はさぞ満足したことだろう。


知識人を拷問・殺害


中国歴代の政権が、最も恐れている民主化運動のリーダーが劉氏である。「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が語る。


「劉氏は自由のために戦い続けてきました。いまや、民主化勢力にとって神のような精神的リーダーです。もう1人、習氏が恐れる政敵が薄熙来氏です。彼は民衆のために戦った政治家として、いまも根強い支持があります。両氏が中国の左派と右派、両陣営の精神的求心力になっているのです。その2人が揃って肝臓ガンになった。尋常ならざる事情が裏にあると思います」


ちなみに薄氏は酒、煙草は一切のまない。趣味はマラソンという健康人である。酒も煙草も大いに好み、趣味はマッサージという習主席とは対照的だ。にも拘らず、薄氏が肝臓ガンにかかったことに、中国の残忍さを知悉する矢板氏は疑問を抱く。


劉氏に関して中国当局は病状を知っていながら必要な治療を施さなかったのであろう。治療しても到底、助からないことを見越しての公表だったのであろう。死亡後に釈放するより、末期の氏を手厚く治療する様子を発信すれば、習体制の悪魔のような人権弾圧や拷問の印象が薄れると踏んだ可能性もある。中国での人権弾圧の事例を矢板氏が説明した。


「2015年7月10日、『暗黒の金曜日』に人権派弁護士約200人が拘束されました。その中に李和平氏がいます。非常に優秀な勇気ある男で、彼は当局が強要して認めさせようとした罪を一切認めなかった。服役中に拷問され、血圧を急上昇させるような食事や薬剤を投与されて、殆ど目が見えなくなった。逮捕から約2年間収監され、今年5月に釈放されたときは、健康で頭脳明晰だったかつての姿ではなく、髪は真っ白、呆けて別人になり果てていたのです」


中国で行われる拷問のひとつに、袋をかぶせて呼吸困難にする手法がある。


「頭部をビニール袋でスッポリ覆って暫く放置すると酸素が欠乏して脳に影響が出ます。死ぬ直前で袋を開けて息をさせる。そしてまた、袋をかぶせる。これを繰り返すと、完全に廃人になります」と矢板氏。


カンボジアのポル・ポト政権が、毛沢東に倣って同じ方法で知識人を拷問・殺害していたことが知られている。習政権はいまもそのようなことを行っているわけだ。だが、習主席がこの件についてG20で注文をつけられたり論難されたりすることはなかった。自由を謳い上げたトランプ大統領はどうしたのか。


無実の日本人を拘束


欧米諸国が中国に物を言わないのであれば、日本が自由や人権などの普遍的価値観を掲げて発言すべきだ。今からでもよい、劉氏の治療を日本が引き受けると表明すべきである。日本は中国と距離的に近い。欧州に移送するより日本に移送する方が、劉氏にとってずっと負担が少ない。理由はもうひとつある。日本人12人が現在中国に「スパイ」として拘束されているではないか。12人中6人は、千葉県船橋市の地質調査会社「日本地下探査」の技術者4人と、彼らが中国で雇った日本人2人である。


社長の佐々木吾郎氏が、4人は「まじめで一生懸命な社員ばかり」だと語っている。全員、中国語は全くわからない。そんな人たちが郊外で温泉を掘ろうと地質調査をしていて、どんなスパイ活動ができるのか。完全な冤罪であろう。即ち、これは中国が日本に仕掛けた外交戦だと、断定してよいだろう。


無実の日本人をいきなり拘束してスパイ扱いし、対日交渉の材料にする中国のやり口を、私たちは2010年に拘束されたフジタの社員4人の事件から学んだ。あのときは中国漁船が尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当たりして、日中関係が非常に厳しくなっていた。中国はレアアースの対日輸出を一時止めて世界貿易機関(WTO)のルールも踏みにじった。だが、結局日本は譲歩した。


今回、中国が勝ち取りたいのは日本の経済協力であろうし、南シナ海問題に警戒感を強め、台湾の蔡英文政権について発言、接近する動きを見せる安倍首相への牽制があるだろう。来年は習主席が訪日する。その前に安倍首相が訪中する。中国にとって好ましい形で対日外交を乗り切り、大国としての地位を確立するために日本を従わせようとしているのではないか。


日本がAIIB(アジアインフラ投資銀行)に前向きな姿勢をとることも、米国に頼り切れない現状では、戦術上、必要であろう。しかし局面はいま、日本が人道の国として、普遍的価値観重視の姿勢を、国際社会に鮮明に打ち出すときだ。そのために6人のみならず、12人の釈放を要求し、劉氏受け入れも表明するのがよい。

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