闘うコラム大全集

  • 2017.12.14
  • 一般公開

「慰安所の帳場人の日記」は何を物語るか

『週刊新潮』 2017年12月14日号

日本ルネッサンス 第782回


東亜大学人間科学部教授の崔吉城氏の近著に、『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実 文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』(ハート出版)がある。


この「慰安所日記」とは、戦中、ビルマ(現ミャンマー)やシンガポールの慰安所で帳場人として働いていた朝鮮人男性の日記だ(以下『帳場人の日記』)。慰安所の実態を誰よりもよく知る立場にあった人物の記録であり、慰安婦の実態を知るこの上ない手掛かりとなる。それだけに、意気込んで手に取ってみた。


しかし、読んでもどかしい思いが残る。もっとはっきり知りたいと思うところに中々行きつかない。


崔氏は3年前、同じ出版社から『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』も上梓している。合わせて読めば、氏が『帳場人の日記』に深い関心を寄せ続けてきたこと、日記をできるだけ客観的に読み解こうとしていることも、明らかである。


氏は、「国家や戦争などを通じて性を考察すること」をテーマとしてきたという。背景には、10歳の頃に勃発した朝鮮戦争の体験があった。序章から引用する。 


「国連軍は平和軍であり、共産化、赤化から民主主義を守ってくれる天使のような軍だと思われていた。だからみんなが手を振って迎えたのに、村の女性に性暴行するとは、思いもよらないことであった」


氏の生まれ故郷の村では儒教的な倫理観が強かった。しかし、「戦争という不可抗力と、性暴力の恐怖によって、住民たちは売春婦、つまり『米軍慰安婦』を認めざるを得なかった」、「国連軍に翻弄された小さな私の故郷の村は、売春村となった」、それによって「一般の女性たちが性暴行を免れることができた。いま問題となっている慰安婦問題にも、そうした側面があったのか」と、氏は問うている。重要な問いだ。


慰安婦問題は日本だけではなく、国連軍や各国の軍を含めた問題である。さらに加害、被害の両面において、韓国自身も関係するという認識が、崔氏の分析を公正なものにする力となっている。


韓国では「慰安婦は被害者から愛国者へと変換され、民族的英雄のように銅像が建てられ、拝まれているが、実はその現象は、新しいものではない」と氏は指摘し、 妓生(きーせん)の論介(のんげ)の例を引用する。


当時の事実


朝鮮の人々が日本人を「倭」と呼んでいた時代、妓生の論介は国を守るため、敵である日本の武将を抱いて川に身を投じたそうだ。韓国の人々は慶尚南道晋州に彼女を奉る『義妓祠』を建てて、彼女を英雄から神に祭り上げた。妓生や売春は儒教的道徳観によって否定されるが、政治的要素で状況は大きく変わり得るということだ。


『帳場人の日記』は4年前の2013年8月、ソウル大学名誉教授の安秉直(アンビョンジク)氏が解説する形をとって韓国で出版された。同書は韓国において、慰安所は「揺るぎない日本軍の経営」の下にあり、従って慰安婦も厳しく監視されていたという主張の論拠となる資料だとされた。反対に日本では、慰安所が公娼制度の下で営まれていたことを示す証拠と見做された。


前述のように崔氏は、どちらの側にも与(くみ)しないよう、慎重に本にまとめた。内容が物足りないのは、日記の日本語訳が部分的な引用にとどまり全体として示されていないからであろう。全てを日本語訳で出版できないわけを私は知る由もないが、慰安婦問題を正しく知る上で残念なことだと思う。


それでも崔氏の著作は、当時、慰安所がどのように位置づけられていたのか、どんな人々が関わっていたのかを、教えてくれる。過去の事象に現代の価値観や見方を当てはめるのではなく、帳場人だった朴氏の視線を通じて当時の事実を見せてくれる。朴氏は1942年7月に釜山からビルマのラングーンに向かう船上にいた。第4次慰安団の一員だったのだ。同じ船に、高額の貯金を残したことが日本でも知られている慰安婦の文玉珠氏も乗っていた。


ラングーン到着後、朴氏は暫くして慰安所で働き始める。11月にはアキャブという所に移動しているが、この地にあるシットウェーという港は、近年中国が巨額の資金を投じて整備し、中国海軍が拠点としている。年が変わった43年、氏は再びラングーンに戻り、その後幾つもの市や町を移動した。慰安所は1カ所に定着して営業することはあまりないのだと実感する。


各地を移動し、43年の9月末にはシンガポールに移り、朴氏は翌年の44年12月に故郷に戻った。


その間に朴氏は自分や同僚のために、また慰安婦の女性のためにも驚く程の送金をしている。たとえばビルマに戻って日も浅い43年1月16日、朴氏は慰安所経営者の山本龍宅氏から3万2000円を故郷の家族に送金するよう指示されたと書いている。実はこの山本氏は、朴氏の妻の兄弟である。朴氏の働いた慰安所は同胞が経営していたのだ。朴氏の日記には慰安所経営者として多くの日本名が登場するが、人間関係を辿っていくと、その多くが朝鮮人だと崔氏は指摘する。


「本人に戻るブーメラン」


朴氏が、妻の兄弟から送金を頼まれた3万2000円は現在の貨幣価値ではどのくらいなのか。崔氏は当時の公務員の給与を75円、それがいま約20万円として計算した。3万2000円は現在8530万円になる。


「実に、1億円近い大金が、行き来していたわけである」と崔氏は驚いているが、朴氏が朝鮮の家族や自分の口座に送金した中に、1万円台、2万円台、3万円台の額が目につく。1億円近い額を2年の間に数回送金できた程、慰安所経営は利益が上がったということだ。


他の多くの慰安所でも同じような状況があったはずだ。女性たちも高額の収入を手にし、経営者は慰安所を営み、時にはそれ自体を売買していた。


わずかだが、慰安所での生活も紹介されている。朴氏は公休日には映画をよく見たようだ。「たいていは同業者と一緒」だが、「時には慰安婦たちや仲居などと一緒」だった。「鉄道部隊で映画があり、慰安婦たちが見てきた」という記述もある。


朴氏の日記を精読した崔氏が結論づけている。そこには慰安婦の強制連行に繋がるような言葉すらない、と。氏は、「性的被害をもって問題とすることは、どの国、どの民族でも可能だ」、従って「韓国が、セックスや貞操への倫理から相手を非難することは、韓国自身のことを語ることに繋が」る「いつか必ず本人に戻るブーメラン」だと強調する。韓国はそのような対日非難をただちに中止すべきだというのが氏の結論だ。私は同感だが、トランプ大統領との晩餐会に元慰安婦を招く政権の耳には、この直言は届かないのである。

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