闘うコラム大全集

  • 2020.07.23
  • 一般公開

嘘と力で押し切る中国の「戦狼外交」

『週刊新潮』 2020年7月23日号

日本ルネッサンス 第910回


本来ならあと27年間は続くはずの香港の民主主義体制を突然終わらせた「国家安全維持法」(以下、国安法)は、異常なプロセスを経て導入された。通常は2か月に一度開催される全人代常務委員会が半月の間に二度開かれた。国安法は6月30日深夜に決定され、一時間後の7月1日午前0時に施行されたのである。


慌しい動きの背景に6月16、17の両日、ハワイにおける米中外交会談の決裂がある。米国側は香港、台湾、ウイグル問題で中国の強権弾圧と人権蹂躙を厳しく攻めた。


会談後、中国外務省は米国に先んじて記者会見を開き、紋切り型の主張を展開した。その直後に配信された中国共産党の海外向け機関紙「グローバルタイムス」は、社説で中国側の悲観的見方を吐露している。


「中米両国が関係を断ち切ることはないと思われる」「しかし合意は困難」「米国は新冷戦や両国関係の切り離しを煽っている」という非難の中には米国が対中姿勢緩和に動くことへの期待はほぼ見られない。この局面で中国側は香港への強権発動を決断したと思われる。


対照的に米国は会見で鋭い中国批判を発信した。スティルウェル国務次官補が中国側は「前向きではない」「一方的で非現実的」「戦狼外交」だなどと言い切った。


氏はまた、世界が武漢ウイルス禍で苦しむ中、元凶国中国が勢力拡大を進めているとし、中国の外交姿勢を手厳しく攻撃した。


私は氏が言及した2014年の中国外交に注目せざるを得なかった。その年、習近平国家主席が初めてインドを訪問したのだが、訪問に合わせて人民解放軍が中印国境の紛争地帯にそれまでになかったほど深く侵攻し、それまでになかったほど長期間占領したと、スティルウェル氏は語ったのだ。


「鼻にパンチを食らわせて中国の優位性を思い知らせる戦術か、本当のところは分からない」と氏は結んだが、中国の攻勢の背後には勝手に歴史を作り上げる嘘つき国家の姿がある。その意味で、2010年12月、温家宝首相の訪印を連想する。あの時も中国側は強烈なパンチを繰り出した。


インドに攻め入る


インド北東部のアルナチャル・プラデシュ州は広さ8万平方キロ、ヒマラヤ山系の上質な水が豊かに流れ込むインド随一の水源の州だ。同州を中国は自国領だと主張し、チベット自治区に編入してしまった。


この州の、中国がチベット自治区に編入した地域に、温氏訪印に合わせて中国軍工兵隊がトンネルを貫通させた。ヒマラヤ山系の下に掘られたトンネルは、有事の際、人民解放軍の戦車を最高速度で走らせるのに十分な幅と強度を備えている。トンネル完成で、人民解放軍はいつでもインドに攻め入ることができる。戦略上重要な意味を持つトンネルの完成を温氏訪印にぶつけたのである。


胡錦濤主席も同様の形で訪印した。温氏の訪印の約4年前だ。インドの戦略研究家、ブラーマ・チェラニー氏の説明だ。


「中国側は胡主席訪印の06年に、それまで休止していたアルナチャル・プラデシュ州の領有権問題を公然と持ち出したのです」


中印国境はネパールとブータンを挟む形で、東西3300キロ余りに達する。ほぼ全域がヒマラヤ山脈を構成する高山地帯だ。国境をめぐって両国は常に争ってきた。1959年から62年までの中印紛争はまさに国境で両軍がぶつかった。中国軍が圧倒的優勢で戦いを展開し、遂にジャンム・カシミール州のアクサイチンを奪い取った。ここはいま、中国が実効支配を続けている。


インドは常に中国に騙され、軍事的にもしてやられてきた。ネルー首相と周恩来首相が会談し、中印両国が平和五原則を打ち立てた54年、ネルーは友好の印として両国を隔てるヒマラヤ山系の地図を周恩来に贈った。地図は国家機密だ。詳細な地形と建造物、その場所と形状は、相手国攻略に必須の知識だ。周恩来は喜んで受け取り、両国の友好を誓った。だが59年にインドに攻め入ったとき、人民解放軍はネルーの贈った地図を存分に活用したのである。


チェラニー氏が指摘する。


「06年に中国がまたもやアルナチャル・プラデシュの領有権を主張し始めたとき、彼らが使ったロジックは噴飯物でした。17世紀にダライ・ラマ6世がアルナチャル・プラデシュ州のタワンという地区で住まれた、従ってアルナチャルはチベットのものだ。チベットは中国の一部であるから、アルナチャルも中国領だというのです」


そのような理屈を使えば、ダライ・ラマ4世は1589年にモンゴルで生まれたためにモンゴルは中国領になる。こんな無茶苦茶はどの世界でも通用しない。加えて、ダライ・ラマ法王は、歴史上、アルナチャルは一度もチベットの一部であったことはないと語っている。


恥辱の歴史への恨み


習近平、温家宝、胡錦濤と、中国歴代の主席や首相の外交を振りかえると常に脅しと騙しの混合スタイルであることに気付く。こんな悪い癖をもつ中国が、いま、米国に公然と挑戦している。それがスティルウェル氏の言う「戦狼外交」であろう。


戦狼外交の定義ははっきりしないが、王毅外相が国際社会における中国の国益と評価を高めよ、積極攻勢に出よと指示を出したのは、武漢ウイルス発生とほぼ同時期だった。


「おそらく米軍が疫病を武漢に持ち込んだ」とツイッターで発信した中国外務省の趙立堅副報道局長をはじめ、4月12日に在仏中国大使館が公式サイトで、フランスの高齢者施設の職員が職場放棄し「入居者らを飢えと病気で死なせた」との非難など、中国の強硬論が溢れた。


なぜ、無理筋の強硬論が発信されるのか。米クレアモント・マッケナ大学教授、ミンシン・ペイ氏は、中国人の歴史に対する恨みと自己イメージの誇大妄想化が背後にあると見ている。前者は「恥辱の一世紀」「勿忘国恥」(国恥を忘れることなかれ)などの言葉に象徴される歴史認識であり、清朝が欧米列強及び日本に蹂躙されたことへの恨みである(6月25日号の本欄を参照下さい)。後者は中華民族は世界諸民族の中にそびえ立つと豪語する習氏に、あらゆる人々がへつらうところから生じる自己肥大化現象だとペイ氏は指摘する。


恥辱の歴史への恨みから生まれるナショナリズムと、中華民族こそ世界に君臨すべき優れた存在だとの強烈な自意識は、いかなる批判も受け付けない。撥ねつけ反撃し、戦狼外交の波が起きる。政治家、財界、国民全員は、その中国に筋の通った厳しい姿勢で接しなければならない。一瞬の隙、心にもない微笑、卑屈な友好は、固く禁ずべきだ。

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