闘うコラム大全集

  • 2021.09.16
  • 一般公開

『情報と国家』、日本への警告の書

『週刊新潮』 2021年9月16日号

日本ルネッサンス 第966回


昔から日本はスパイ天国だと見做されてきた。少しずつ改善されてはいるが、現在もそうではないか。


同盟国の米国は長年、日本に情報を渡せば必ず中国やロシアに筒抜けになると警戒し続けた。そして中国を筆頭に諸国のスパイや工作員は働き易く与(くみ)し易い日本が、今でも大好きだ。


南モンゴル出身で天安門事件勃発の年に来日、21年前に日本国籍を取得した楊海英氏は、南モンゴルの亡命団体が北京五輪開催の2008年に活動本部をドイツから日本に移した時のことを振りかえる。


「在京の中国共産党工作員が『やっと、ウチの縄張りに来てくれた』と喜んだ。中国に甘いドイツですが、当局は情報活動に対しては厳しく、中国人工作員が亡命モンゴル人の組織に手を出すことは許さなかった。ところが日本ではどうにでもなるというので、日本で闊歩する工作員たちはとても喜んだのです」


事実、南モンゴル人組織の本部が日本に移された時から、ベテラン工作員らは組織のメンバーを逐一調べあげ、介入し、内部分裂を起こさせ、最終的に組織は機能不全に陥った。南モンゴル人の団結を守りきれなかったことは楊氏の苦い体験となっている。しかしこれは中国共産党員が日本の、例えば刑法223条(強要罪)を犯している現実に対処しきれない日本当局の失態である。


そうした日本社会の「ゆるさ」を実感し、日本人は外国の工作員の怖さを知らないと警告するのは、日本で暮らす元中国人たちである。


中国ハルビン出身で、外国語である日本語で天安門事件を描いた『時が滲む朝』(文藝春秋)で芥川賞を受けた楊逸氏は、中国共産党幹部の2世3世が最も好む国は日本とニュージーランドだと言明する。ちなみにニュージーランドはほとんど中国に乗っとられたと言われるほど、中国の工作に浸透されている。


情報弱者としての日本


中国共産党幹部の2世3世が、日本を好んで何十年にもわたってこの国に住む理由は何か。「安全で、国全体が中国寄り」だからだそうだ。


まず、一旦日本国籍を取得すると、資金の流れを調べられたり行動を監視されたりすることがほとんどない。加えて中国人であることがひとつのステータスとなるほど国全体が親中的で政財界で人脈を築くのが容易だという。


親中的すぎて心構えがゆるくなっているのは政財界だけではない。メディアも学界も同様だ。彼らは見るべき脅威や危険を見ない。結果として現場の公安・警察関係者らが如何に努力しても、わが国の国益や国民が十分守られることは少ないのである。


スパイや工作員にわが国を好き放題蹂躙させているのは、心が親中に傾いているのに加えて、わが国に十分に強力な取り締まり法や組織がないからだ。敗戦を機に、国家としての在り方は根本から変えられてしまった。占領軍によって情報機関も土台から崩された。それを変えようと試みたのが安倍晋三前首相である。


長く安倍首相に仕えた北村滋氏は『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)で、わが国の情報能力が如何にして占領軍にはぎ取られ、破壊されていったか、その戦後史を鋭くまとめている。情報こそ国家の命運を左右する。情報機能を殺(そ)がれたわが国が、戦後の長きにわたってどれほど易々と情報を盗みとられ、それが如何なる規模の国富流出につながってきたかを、氏は淡々と具体例を引いて示している。


北村氏が政権中枢で内閣情報官として働き始めたのは、民主党野田佳彦政権のときだった。氏は直前に発生した重大事件から、日本国の情報機能の弱点を痛感することになる。


2011年12月19日、北朝鮮の金正日総書記死去の情報が野田首相に伝わっていなかったのである。


北朝鮮のメディアは、その日正午に「特別放送」をすると3回も予告した。予告するテレビ放送の背景や音楽は明らかに暗かった。わが国にとって重大な脅威をもたらし続けている北朝鮮は、それより5年前に核実験を断行していた。拉致被害者について偽りの情報を出し続けていた。北朝鮮の動向に深い関心を抱いているはずのわが国で、官邸に北朝鮮メディアの「特別放送」が金正日死去を含む重大事の発表である可能性が伝わっていなかった。情報弱者としての日本の姿に世界は驚いたことだろう。


その日、野田首相は、午後零時10分から予定されていた新橋での遊説のために正午前に官邸を離れ、NHKのニュースで金正日の死去を知ったのだ。北朝鮮の発表を受けた日本メディアの報道で、ようやく重大ニュースを知って慌てて官邸に引き返した野田政権の失態を北村氏は深く心に刻んだという。


経済安全保障の考え方


政策決定者への情報伝達の在り方を根本から変えなければ、わが国は国家としての挑戦に悉(ことごと)く敗北しかねないとの危機感であろう。


第二次安倍政権が発足すると、安倍首相は情報機能の強化に取り組んだ。特定秘密保護法は13年12月の成立だ。続いて14年1月には国家安全保障局が発足した。北村氏は19年に国家安全保障局長に就任すると、翌年4月、同局に経済班を発足させた。


安全保障は今や軍事面からのみ捉えていてよいものではない。中国は17年秋の第19回共産党大会で「軍民融合発展戦略」を加速させた。中国共産党政権が軍民を一体と捉えて、中国の安全保障の絶対的強化に向けて統制を強めるのに対し、日米欧の自由主義陣営は、中国に奪われない体制を整えなければならない。安倍政権下の国家情報機能の強化はまさにその線に沿ったものだった。


北村氏は経済安全保障の考え方こそ日本が取り入れ、官民一体で取り組まなければならないと強調する。企業や研究機関への投資、先端技術の保護を、経済活動の範囲内のみで捉える時代は終わったのだ。大学での研究や留学生の問題も知的交流や相互関係の強化という美しい話では終わらない。中国の推進する千人計画で明らかなように、これこそ、中国共産党が大戦略として推進する知財窃盗と軍民融合の核心なのである。


北村氏の唱える経済安全保障、経済・学問研究におけるおよそ全てを安全保障問題に結びつけて構築し直すことの重要性は、日本ではようやく認識され始めたばかりだ。


日本国の情報機能の強化の必要性を繰り返し強調する北村氏の主張こそ、今、日本に必要な正論だと考える。

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