闘うコラム大全集

  • 2015.03.12
  • 一般公開

TPP妥結間近し、農業再生の好機とせよ

『週刊新潮』 2015年3月12日号

日本ルネッサンス 第646回


高原レタスの産地、長野県川上村の農家の平均所得は年収2500万円。後継の人材も育ち、都会から若い女性たちが嫁いでくる。成功の鍵は農協支配から逃れたことだと農協問題に詳しい屋山太郎氏が語る。


「川上村で最初にレタス生産を始めた農家に、農協は指示に従わないなら水を止めると脅したのです。その農家は屈するどころか反対に、『止めてみろ、訴えてやる』と応酬した。いまでは川上村の成功を誰もが認めるでしょう。農家を縛ろうとした農協の敗北ですよ」

 

2月9日に安倍政権が決定した農協改革案は、全国農業協同組合中央会(JA全中)が下位の地域農協に強い監査権限を持ち続けることを許さないという大事な点はきっちりおさえた。4年後、全中は農協法から外れて一般社団法人になり、各農協に対する監査権限を失う。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の山下一仁氏が説明した。


「農協法に担保されたこの監査権限こそ、全中は守りたかった。農協組織の末端まで支配できる最重要の手段ですから。安倍首相側が全中を農協法から外すために出した手練手管の策が、農協加盟の准組合員の数を規制するという条件でした」

 

農協の正組合員は467万人、517万人の准組合員のほうが多い。農協は准組合員の給与を預り、保険を扱い、生活用品のあらゆるものを買ってもらっている。地域農協が集める金はJAバンク(JA・信連・農林中金)に預けられ、その預金量は90兆円に達する。三菱東京UFJ銀行に次ぐ日本第2のメガバンクだ。

 

その中からの農家への貸し出しは全体の精々2%程度だ。他方、住宅ローンをはじめ准組合員への貸し出しは全体の約30%、残りの70%は有価証券運用やウォールストリートでの株式投資などだ。


「地域農協にとって准組合員を規制されたら経営が成り立たない。絶対呑めない条件を出された地域農協は、准組合員を取り上げられるくらいなら、全中の特権であり、その下で自分たちも行使している監査権限などを諦めようと考えたのではないでしょうか」


相乗効果を生みだす


農協組織の中央と末端にくさびを打ち込んだ格好である。かつて農水省に籍を置いた山下氏であればこそ、この種の駆け引きを見透かすことができる。実は氏は、改革志向が強すぎて、変化を嫌う農水省と相容れずに退官「させられた」人物だ。

 

このような状況下で、いま一番切実な変化を迫られているのは地域農協でもある。力のある農家は独自の仕入れや販売ルートを開拓できるが、大半の農家は肥料、農薬、タネ、農機具などを農協から買わされ、農産物も農協を通してしか販売できなかった。地域農協は全中の指示の下、農家を縛りつけておく楽な道を歩んできた。しかしいま、全体の流れが変わりつつある。

 

地域農協が生き残るには、全中の方ではなく、個々の農家の方を向いて仕事をし、新しい可能性に挑戦して成功した農家と歩調を揃えるしかない。その点、今回の農協改革案はやる気のある農協とやる気のある農家を結びつけ、相乗効果を生みだすだろう。

 

地域農協の選択肢としてもうひとつ考えられるのが、一般の生活協同組合に近づくことだ。山下氏が語る。


「農協が農業を切り離して地域の協同組合になるのもひとつの道です。農家を助ける本当の農協組織は、専業農家の自主独立の精神を支えてくれる企業があって初めて可能です。それができない農協は、いっそ農業に関わらないほうがいい」

 

農業が遂に変わるとして、5月にもまとまると言われている環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に日本の農業は勝ち残り、成長産業になれるのか。山下氏は楽観的だ。


「まず牛肉です。関税率はいま38・5%、これを10年単位の時間をかけて9%から10%に下げます。これで畜産農家が潰れるかと言えば、そうはならないと思います」

 

氏はざっと以下のように説明した。たとえばかつて100円で輸入された牛肉は関税をのせて138・5円で国内に入っていた。ところがいま円は3年前より約5割も下がっている。100円だった輸入価格が約150円になり、この時点ですでに関税以上の効果が生じている。従って、関税率が10%に下がろうと、畜産農家に大きな損害はないというわけだ。しかも、関税率を下げるのはずっと先のことである。


「日本の和牛産業は90年代以降、驚く程進化しました。和牛の卵子と精子で受精卵を作り、乳牛のホルスタインに移植します。体格の大きなホルスタインにとって体格の小さな和牛のお産は負担が軽くてすみます。お乳の出がよくなり生まれた和牛も健康に育ちます。優れた技術の確立で和牛をどんどん輸出する。農協改革でエサ代を減らし、和牛生産コストを下げれば、競争力は強化されます。加えてアメリカ産牛肉と和牛は完全な棲み分けが可能なので、TPPは全く心配ないでしょう」


「数字のマジック」

 

むしろ複雑なのが豚肉である。アメリカが売りたいのは主として、ハムやソーセージ加工用の、値段は安いが関税率が高い低級部位の豚肉だ。一方、奇妙なことに輸入豚肉にかかっている関税率は、税率の低い高級品と低級品を巧みに組み合わせて、「全体で4・3%」という最低水準の枠組におさまるように輸入業者が調整しているのだ。


「彼らは関税の仕組みをよく研究し極めて賢く対応してきました。ですからいま、書類上で高く設定されている低級部位の豚肉の関税率が何年か先に下げられても、4・3%という十分低い関税率で勝負しているいまと比べてどれだけの影響があるのか、と疑います」

 

最後にコメである。


「数字のマジックに騙されてはならないのです。いま、制度として存在するのはキロ当たり341円の関税だけです。対して日本のコメは卸売価格でキロ当たり200円。仮に外国米をただで輸入しても関税をのせればキロ341円。日本市場ではどんなに安い外国のコメも日本のものより高くなる仕組みです。加えて質を考えれば日本のコメの競争力は保たれます。ですから、関税を下げるべく方針転換すべきだったのに、関税を守りミニマムアクセスの枠を増やした。コメだけは失敗でした」

 

日本はいまミニマムアクセスとして、毎年77万トンのコメを輸入しているが、さらに5万~10万トン増やす方向に向かいつつある。コメ余りの日本が輸入を増やすのではなく、関税を下げる方向で勝負する方が得策だとの山下氏の主張は合理的だ。

 

TPPは交渉中だ。合理的多角的に考えて、守りより攻めの農業によって日本の繁栄を実現したい。

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