闘うコラム大全集

  • 2017.05.11
  • 一般公開

若い世代へ贈る、「海道東征」と「海ゆかば」

『週刊新潮』 2017年5月4・11日合併号

日本ルネッサンス 第752回


4月19日、池袋の東京芸術劇場で、関東では戦後初めて、「海道東征(かいどうとうせい)」が歌われた。大阪では「産経新聞」の主催でこれまでに2度、演奏されているが、残念乍ら私は聴く機会がなかった。

 

今回も主催は産経。東京公演だというので早速申し込んで驚いた。2000席分の切符が完売だそうだ。そんなに多くのファンがいるのか。私は張り切って、私より一世代若い女性たちにも声を掛けた。


「海道東征」は、日本建国の神話を交声曲で描いた名曲である。昭和15年に「皇紀2600年奉祝行事」のために書かれた。詩は北原白秋、曲は信時(のぶとき)潔である。

 

民族生成の美しい歌でありながら、昭和20年の敗戦で、軍国主義などに結びつけられて長年葬り去られていた。作品は、戦後全くと言ってよい程、世に出ることがなかったのであるから、私もそうだが、声を掛けた70年代、80年代生まれの若い人たちが「海道東征」について知らないのも当然である。なんといっても、米軍の占領が終わって独立を回復してから、日本では、社会でも学校でも家庭でも、わが国の歴史や神話、民族の成り立ちなど、ほとんど教えてこなかったのだから。

 

コンサートは、結論から言えば、本当にすばらしかった。堪能した。

 

プログラムの前半で「管弦楽のための『神話』~天の岩屋戸の物語による~」が演奏された。

 

天照大御神が天岩屋戸の中にお隠れになり、世界が闇に閉ざされてしまう。ちなみに古事記にはこのとき、天上も地上も共に闇に包まれたと書かれている。天照大御神は両方の世界を照らしておられるのだ。神々は大いに困り、何とか天照にお出になっていただきたいと工夫を凝らす。

 

ここでナガナキドリが一声、高く大きく鳴くのである。それをトランペットが巧みに表現していた。


日本の始まり

 

伊勢神宮の20年毎のご遷宮では、古いお社から新しいお社に神様がお移りになるとき、まず、鳥が一声、鳴く。ご遷宮ではその場面は「カケコー」と声を発することで表現されるが、コンサートでは、トランペットだった。神様と鳥はご縁が深い。

 

さて、鳥の声を合図に神々が肌も露わに踊り始め、賑やかな宴が始まる。岩の向こう側から楽し気な笑いさざめく声が聞こえる。岩屋戸の中にお隠れだった天照大御神は何事かと好奇心をそそられ、思わず、ちょっとだけ岩屋戸を押し開け、覗いてしまうのだ。

 

その瞬間に、力持ちの神、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩の隙間に手を差し込んで天照大御神が戻らないように腕をとり、もう一度、お出ましを願う。すると陽光は戻り、天上も地上も、世の中は再び明るくなる。天照は機嫌をなおし、心優しい日本の神々と共に、この大和の国を再びお見守りになるのだが、演奏にはこの場面でボンゴなどが使われていた。

 

天照大御神が戻って下さったうれしさに神様たちが喜んで歌い踊る場面が、絵になって浮かんでくるような楽しい演奏だった。

 

そして第2部が、いよいよ、「海道東征」である。神々がおわす天上の国、高天原(たかまがはら)から、天照大御神の孫の神様、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向の国の高千穂の峰に降臨なさった。

 

北原白秋はこの日本の始まりを「海道東征」の第1章とし、「高千穂」と題した。格調高く、バリトンの原田圭氏が、瓊瓊杵尊の高千穂の峰への降臨を歌い上げた。

 

第2章は「大和思慕」である。

 

「大和は国のまほろば、

たたなづく青垣山。

東(ひむがし)や国の中央(もなか)、

とりよろふ青垣山」

 

その旋律に心が引き込まれる。

 

第3章は「御船出」である。瓊瓊杵尊から数えて3代目、4人の皇子が日向を発って大和平定の旅に出た場面である。

 

「日はのぼる、旗雲(はたぐも)の豊(とよ)の茜(あかね)に、

いざ御船出(みふねい)でませや、

うまし美々津(みみつ)を」

 

光の中に船出する皇子たちの姿が目に浮かぶ。東へ向かう途中で荒ぶる神々との戦いがあり、嵐があり、4人の皇子の3人までもが命を落とす。末っ子の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が大和に到達し、東征の事業を成し遂げるが、この神様が日本国の初代天皇、神武天皇になられた。

 

こうして「海道東征」は第8章まで続く。時に美しく、時に力強く、清く澄みきった喜びに満ちた交声曲である。「海道東征」について何も知らなかった若い女性たちも、楽しんでいた。彼女たちはきっと、これから日本の神話や歴史に、また新たな角度から興味を抱くのではないかと、私はうれしく感じたことだ。


先人たちの言葉

 

そして最後にアンコール曲として「海ゆかば」が演奏された。大伴家持の詩に信時が曲をつけた。多くの人が立ち上がり、合唱した。私の隣りの方は朗々と歌った。


「海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね)

山ゆかば 草むす屍

大君の辺(へ)にこそ死なめ

かえりみはせじ」

 

教育勅語は、天皇のために死なせる教育だという的外れな批判が生まれるいま、「海ゆかば」の詩に、スンナリ入っていけない人も多いかもしれない。山折哲雄氏が『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画)で「屍とは何か」と題して書いている。

 

掻い摘まんで言えば、万葉集の挽歌でわかるように、死者の屍とは「たんなる魂の抜け殻」だというのだ。人はひとたび死ねば、その魂は亡骸から離脱し、山の頂や海の彼方、空行く魂となって、この国の行方を静かに見守ってくれる。あとに残された屍には何の執着も見せない。それがかつての日本人の、人の最期をみとるときの愛情であり、たしなみであった、と。

 

同書で谷川俊太郎氏は「子どもの私はそれまでも音楽がきらいではなかったが、音楽にほんとうにこころとからだを揺さぶられたのは、『海ゆかば』が最初だった」「私が愛聴したのが北原白秋詩・信時潔曲の『海道東征』だ」と書いた。

 

私の友人でもあった松本健一氏は、同書で、演出家で作家の久世光彦氏の文章を紹介している。


「『海ゆかば』を目をつむって聴いてみるといい。これを聴いていったい誰が好戦的な気持ちになるだろう。・・・私は『海ゆかば』の彼方に日本の山河を見る。・・・美しい私たちの山河を護るために、死んでいった従兄たちの面影を見る」

 

松本氏も、久世氏も、亡くなってしまった。けれど、彼らの言葉はどれもみんな、私の心に沁みる。コンサートホール一杯に広がった「海ゆかば」の合唱に、静かに感動した。

 

若い女性の友人たちは、「海ゆかば」にとっつきにくいようだった。だからこうした先人たちの言葉を、私は彼女たちにそっと捧げてみたい。

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