闘うコラム大全集

  • 2017.08.10
  • 一般公開

ベテラン記者の警告、メディアの驕り

『週刊新潮』 2017年8月10日号

日本ルネッサンス 第765回


いま読むべき書は廣淵升彦氏の『メディアの驕り』(新潮新書)だと言ってよい。


わが国では加計学園問題で、「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」をはじめ、放送法によって公正中立を求められている「NHK」など、いわゆる「主流」の報道機関がメディア史に汚点として残るであろう偏向報道に狂奔中だ。民放各局の報道番組の大半、ワイドショーの殆ども例外ではない。


そんな中、廣淵氏が警告する。「変に使命感に駆られ、存在もしない物事を興奮気味に伝える報道が、どれほど危険なものか」と。


氏はテレビ朝日のニューヨーク、ロンドン支局長を経て、報道制作部長などを歴任した。氏のメディア論は、「ベニスの商人=悪人」論は間違いだという指摘に見られるように、豊かな素養に裏づけられている。


どの国でも、メディアは強い力を持つ政治家を倒すのが好きである。優しく国民に耳を傾ける政治家を持ち上げるのも好きである。政治家を、その主張が国益に資するか否かより、好悪の情でメディアが判断すれば、国全体がポピュリズムに陥り、政治家は支持率のためにもっと国民の声に耳を傾ける。だが、そのことと国益は必ずしも一致しない。


廣淵氏が指摘するフィリピンのアキノ革命がその一例だ。フェルディナンド・マルコス政権下で、ベニグノ・アキノ元上院議員が暗殺され、20年近く続いていたマルコス政権の崩壊が始まった。約3年後、アキノ夫人のコラソン氏が大統領に就任した。廣淵氏はコラソン氏の「外交音痴」を、彼女が訪日したときに記者会見で語った「ベータマックス」という一語から嗅ぎとっている。詳細は前掲書に譲るが、氏の感覚の鋭さを示すエピソードだ。


廣淵氏はまた、フィリピンの国運を現在に至るまで揺るがし続けている、コラソン氏の外交政策の過ちについても指摘している。


マルコス政権後に誕生したコラソン大統領をアメリカは非常に大切にしたが、彼女はフィリピン国内の極左勢力が盛り上げた反米感情と、「民衆の望むことを実行するのが民主主義だ」、「米軍基地はいらない」と喧伝するメディアの圧力に負けて、致命的な間違いを犯した。


大衆に迎合


フィリピンは、第二次大戦後、自国防衛のための軍事力を殆ど整備してこなかった。国内にはスービック、クラークという、米軍の2大基地があり、同国は米軍によって守られていた。その2つの基地を、コラソン氏は1年以内に閉鎖し、米軍に退去するよう求めたのだ。


本来なら、大統領として、米軍のプレゼンスを保ち続ける場合と米軍が退去した場合の、メリットとデメリットを忍耐強く大衆に説いて聞かせ、米軍の駐留を継続させるべき場面だった。しかし彼女は絶対に迎合してはならない局面で、大衆に迎合した。


米軍がスッと引いたとき、間髪を容れずに中国の侵入が始まった。以来、中国の侵略は続き、フィリピンの海や島々は中国海軍の基地となり果てている。


コラソン・アキノ氏の長男が2010年から昨年まで大統領だったベニグノ・アキノ3世で、彼は母親の不明なる外交政策ゆえに奪われている南シナ海のフィリピン領土を守るべく、仲裁裁判所に訴えた。


しかし、ロドリゴ・ドゥテルテ現大統領は中国との戦いをほぼ諦めている。フィリピンは中国の力にますます搦めとられていくだろう。米軍の存在を国家戦略上必須のものと認識できなかったフィリピンが、領土や海を中国から取り戻すことは至難の業だ。コラソン氏の判断の誤りが中国の侵略とフィリピンの国運の衰退につながっている。


廣淵氏はアメリカ3大ネットワークのひとつ、CBSとエド・マローも事例として取り上げている。


日本の「新聞出身のキャスターたちの『私見を言いたい欲望』」がテレビニュースの質を著しく低下させたと指摘する廣淵氏は、その対極としてのマローに言及する。


ドイツがポーランドに侵攻した1939年、マローはロンドンから日々戦況を報じていた。眼前で起きている現実を私見を交えず冷静に報道し続けたマローはメディアの英雄となる。第二次大戦後に帰国した彼はCBSの顔となり、1950年代に入ると上院議員、ジョセフ・マッカーシーと対峙する。マッカーシーは、国務省は250人の共産党員に蝕まれていると断じて、糾弾し、疑わしい者を追放し続けた。「赤狩り」旋風が全米に巻き起こったのだ。


マッカーシーに挑むマローの手法は、徹底して主観を排除した事実報道だった。マローの番組で反論する機会を与えられたマッカーシーは「汚い言葉」を連発し、「煽動家の本性」をあらわにした。結果、彼は支持を失い、政治生命を失った。


真実を知る


こうした経緯を記し、マローが「アメリカの言論の自由を守った」と、廣淵氏は書いた。たしかにマローはジャーナリズムの学校では、目指すべき理想の人物として教えられている。だがこの話には続きがある。


マッカーシーが共産主義を告発する前にも、すでにルーズベルトやトルーマン両大統領の時代に、ソ連の工作員や諜報員が米政府中枢部深くに潜入していたのである。こうしたことは、ソ連崩壊後にクレムリンから大量の情報が流出し、或いはアメリカ政府が戦後50年を機に公開を始めたVENONA文書(米国内でのソ連諜報員の通信文の解読文書)などによって明らかにされてきた。


大部の資料は、マッカーシーが警告した共産主義者のアメリカ政府中枢への浸透が事実だったことを示している。悪名高い「赤狩り」の張本人、マッカーシーは実は正しく、マローが間違っていたということだ。


真実を知るとはなんと難しいことか。事実発掘を使命とするジャーナリズムのなんと奥深いことか。半世紀がすぎて公開された資料でどんでん返しが起きてしまう。ジャーナリズムという仕事に対して粛然とした思いを抱き畏れを感ずるのは私だけではあるまい。言論人として、報道する者として、どれ程注意深くあらねばならないかということだ。


廣淵氏は偏向報道に傾く日本の現状の中で、「知力」を磨き、理想や理念、美しい言葉に酔うのをやめることを提言する。「実現不可能な理想を口にする人々、行政能力がないのに理念だけで国家や組織を動かせると信じている」リベラル勢力に報道が席巻されてはならないということだろう。リベラル勢力の最たる現場であるメディアの、その驕りを抉り出した著作の出版を、私はとても嬉しく思う。報道の偏りが顕著ないま、ぜひ読んでほしい。 

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