闘うコラム大全集

  • 2017.11.23
  • 一般公開

習近平皇帝に屈服、トランプ大統領

『週刊新潮』 2017年11月23日号

日本ルネッサンス 第779回


トランプ敗れたり。


これが北京での米中首脳会談、それに続くベトナム・ダナンでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)におけるドナルド・トランプ、習近平両首脳の発言を聞いての結論である。


私たちの眼前で起きているのは、米中どちらが世界のルールメーカーになるかの、熾烈な闘いだ。かつて東西の冷戦でアメリカはソ連に勝利した。いま米中の闘いは米ソのそれのようにイデオロギーで割りきれる単純なものではない。


どれ程中国のやり方が嫌でも、どうしても切り離せない所まで相互に織り込み合った経済関係の中に世界全体があり、しかし掲げる価値観はあくまでも相容れないという状況下で、米中どちらが覇権を奪うかは周辺諸国にとってこの上なく深刻な問題だ。アメリカにとっては超大国の座と国運を賭けた闘いである。


この闘いの真の意味を理解しているのは中国側である。トランプ氏以下、大統領に助言を与え続けていると思われるヘンリー・キッシンジャー氏も含めて、アメリカ側はそのことについて理解が及んでいないのではないか。従ってアメリカには大戦略がない。あるのは眼前の利害を重視する戦術だけではないか。


中国で盛んに喧伝されているのが「中国5000年の歴史」である。中国共産党と習政権が作り上げる新たな歴史物語は、国民を鼓舞し、中国共産党の権威を高めるために是非必要なフィクションだ。中国の歴史は他国の及ばない規模であるためには、5000年でなければならないのである。トランプ大統領はアメリカの歴史の20倍以上も長い中国の歴史について聞かされ、壮大な建築物や見事な歴史遺産を見せられ、さぞ、印象を深めたことだろう。


国賓以上のもてなしはトランプ氏を圧倒的に魅了するためであり、紫禁城の貸し切りも、習夫妻直々の案内も同様だったはずだ。


歯の浮くような賛辞


加えて、中国が提示した28兆円に上る種々の契約は、ディール好きで、ディールの名人と自称するトランプ氏の心を掴んだことだろう。確かに誰しもが驚いた金額だが、すでに始まった詳細な分析では、28兆円は従来の中国の対米投資を含めた累計で、その衝撃的な数字は真水の数字ではないこと、割り引いて考えなければならないこと、種々の契約が確約されたと考えるのも楽天的にすぎることなどが指摘され始めた。


全容の実態はまもなくわかるはずだ。しかしその前にトランプ氏は明らかにこの額に目が眩んだ。訪中2日目の11月9日、人民大会堂での米中首脳の共同記者会見は、両首脳の姿勢の違いと共に、トランプ氏が目眩ましをくらったことが明らかになった場面だった。


習氏は一帯一路の経済効果と未来に及ぼす大きな影響について説き、太平洋は米中2カ国を容れるに十分な大きさの海だと述べている。今更指摘する必要もないが、これは中国が年来求めてきた大戦略、「新型大国関係」と「太平洋分割統治論」の繰り返しである。中国側はあくまでも米中で世界を仕切る体制を作りたいのだ。その先に、中華民族が世界の諸民族の中にそびえ立つ日を目指していると、習氏は先の共産党大会で述べている。


記者会見で習氏は、両国は双方の国からの亡命者の避難の地となってはならないという点で一致したとも述べた。これは、中国の民主化を求める人々、民主化運動に参加した結果、中国にいられなくなり、アメリカに逃れた人々にとっては深刻な合意だ。アメリカが思想信条の自由を守る砦としての役割、亡命者の受け入れを拒否するのかと疑わせる。


習主席が中国の戦略に従って主張し、取るべきものを取ったと思わせる演説をしたのに対し、トランプ大統領は習氏への賛辞に終始した印象だ。無論、トランプ氏は北朝鮮、麻薬、経済、知的財産権などについても言及したが、28兆円に喜んだ結果、個々の問題には深く入らずに、サラッと通り過ぎたという印象だ。発言の最初と最後には習氏に歯の浮くような賛辞を贈っている。


「中国国民は自分たちが何者であるか、何を築き上げてきたかについて誇りを抱いている。彼らはまた、あなた(習氏)のことを、非常に誇り高く思っている」


このような賛辞の連続を聞けば、トランプ氏は本当に習氏に心酔してしまったのかと感じさせられる。


北京からベトナムのダナンに移ってAPECで行った演説は耳を塞ぎたくなる内容だった。ここで期待されていたのは、国際法を無視して南シナ海をわが物顔に占拠し軍事拠点化し、ASEAN諸国に分断政策を適用して、彼らの抗議にまともに対処しようとしない中国に対して、アメリカが抑止力を発揮してくれることだった。アメリカが国際法を擁護し、法による秩序の確立を主張し、問題の解決に武力ではなく平和裡の多国間の協議を以てし、航行の自由を守り、どの国も安心して南シナ海で活動できるように、軍事的手段も用いて主導権を握る決意を示すことが期待されていた。


トランプ氏のアジア歴訪直前に、ティラーソン国務長官はインド・太平洋の平和構築について語った。日本、インド、オーストラリアと共にアメリカは広大なインド・太平洋圏の擁護者にならなければならないという主張である。


危機感と戦略的思考の欠落


これは、2016年に安倍首相がアフリカ開発会議(TICAD)で提唱した考えだ。アメリカ国務省が安倍首相の提言を取り込んだ。それをトランプ大統領も口にした。日本国の首相の外交・戦略論をアメリカが採用したことは未だかつてなかったことで、もし、トランプ政権が本気でインド・太平洋圏構想を実現するのであれば、中国の一帯一路やアジアインフラ投資銀行(AIIB)よりはるかにすばらしい大戦略をこちら側が構築できる。その意味でもトランプ氏の発言が注目された。


しかし、トランプ演説は失望以外の何物でもなかった。トランプ氏は、これ以上の不公平な貿易や不条理な赤字には耐えられないなどと繰り返し、ひたすらアメリカの利益について語ったのだ。インド・太平洋という言葉は登場はしたが、その肉付けとなる具体策は何も示さなかった。何よりも足下の危機である南シナ海については、その固有名詞は遂に一度も登場しなかった。危機感と戦略的思考の欠落を示してトランプ氏の演説は行われた。


内向きになりつつあるトランプ氏とは対照的に習氏は広く門戸を開くこと、国際協調の重要性を指摘した。語った言葉だけを聞けば、習氏の方が世界の指導者たる資格を備えているように思える。これ以上の皮肉はないだろう。言葉とは裏腹の中華思想の世界に、私たちは引き込まれていってはならないのである。

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