闘うコラム大全集

  • 2013.04.12
  • 一般公開

不都合な歴史を消す、中国式記憶喪失

『週刊新潮』 2013年4月11日号
日本ルネッサンス 第553回


4月2日付の「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」紙に、北京の作家、閻連科氏が「中国政府が仕掛ける記憶喪失」と題して長大な論文を寄稿した。

内容は、中国政府が歴史や事実の書き替えに総力で取り組み、中国人に記憶喪失を引き起こしているという批判である。中国共産党による事実の捏造や歴史の書き替えで、はかりしれない害を被り苦しんでいる日本の側からではなく、中国の物書きが力を込めてそう警告を発したのだ。

閻氏の記事は香港の大学で教えていたスウェーデン人の教授の体験談から始まる。教授は40人の中国の学生に、1989年6月4日の出来事を知っているか、方励之や劉賓雁という名前を知っているかと、尋ねた。

「89年6月4日」が天安門事件を指すのは言うまでもない。方励之は民主化を求める学生たちの精神的支柱と位置づけられた天文物理学の研究者で、天安門事件の後、米国に亡命し、昨年4月、死去した。

劉賓雁は天安門事件には関係していないが、中国共産党の腐敗や人権侵害を暴き続けた作家で、これまた学生たちの精神的支柱だった。彼も亡命先の米国で05年に死去した。

問われた学生たちは困惑した表情で互いに見詰め合うばかりだったという。彼らは天安門事件を全く知らなかったのだ。全世界が知っていて、中国人だけが知らされていないことは他にも多い。

閻氏は別の事例にも触れている。やはり香港の教師が中国大陸の学生に、60年代初めに「3年続いた自然災害」で3000万人から4000万人が餓死したこと、つまり、毛沢東が指導した「大躍進」について尋ねた事例だ。夥しい数の農民が餓死したとき、毛沢東は「死が田畑を肥沃にする」という非情な論を展開したうえで、死体を農地に埋めさせた。

記憶の仕分け

学生たちは香港の教師が彼らの祖国中国を貶めるために歴史を捏造しているのではないかと疑うような唖然とした表情を見せたという。学生たちは彼らの両親の世代が見聞しているはずの大量餓死について、全く知らされていないことがわかる。

中国共産党の暗黒の歴史は教えられず、党は常に清く正しいと吹き込まれるのだ。習近平主席はいま、中国共産党によるイデオロギーの指導の下に最も幅広い愛国統一戦線を作り上げよと叱咤激励中だ。その方針の下では、万が一にも毛沢東が数千万の農民を死に追いやったことなど明らかにされることはないだろう。国を挙げて「記憶喪失」作業が徹底されるゆえんである。

閻氏は喪われた中国の記憶を次のようにさらに辿る。

「非衛生的な売血によるHIVの蔓延、不法開発による数知れない炭鉱事故、いまも続くレンガ工場の奴隷労働。有毒粉ミルク、有毒卵、有害魚介類、廃棄油の食品への使い回し、発ガン性野菜と果物の横行、堕胎の強要、土地建物の乱雑な解体、住民の訴えの却下……」。

こうした事例は時間の経過に伴って忘れられるのではなく、政府によって積極的に、記憶すべきものと消し去るべきものに仕分けされて忘れさせられるということだ。問題は、共産党政府がひとりでそれをするのでなく、知的階層が政府に追従して同じことをする点だと氏は批判する。

中国の知的階層はなぜ、歴史や事実に向き合わずに「記憶喪失」に陥るのか。なぜ捏造に加担するのか。閻氏は2 つの要因を挙げる。

①振り返れば少し前は全く物を言えない真っ暗な時代だった。現在は小さな窓がひとつ開いて多少息も出来、光も少し射し始めている。であれば、窓はもっと大きく、人々を拘束する牢獄の扉は全開にと要求するより、小窓に満足していればやがて窓は拡大し数も増えていくと、多くの知識人は考える。

②共産党は欲を満たすに十分な金銭を与えるにとどまらず、権力と名誉につながる道を約束し知識人を搦めとる。権力欲、名誉欲、金銭欲が付きものの人間にはこの懐柔法は極めて有効に働く。

このような過程を経て、中国人は「記憶喪失」に慣らされ、過去の実態を忘れ、現在何が起きているかも考えなくなると、閻氏は警告する。

中国共産党は年来、朝鮮半島も尖閣諸島も沖縄も中国領だと、もっともらしい理屈を述べてきた。この種の捏造版の歴史を対外的に主張するのみならず、国民にも教え続ける。日本や朝鮮半島が主張する歴史の事実は記憶喪失のメカニズムで掻き消してしまうのだ。こうして中国人全員が偽りの歴史を信じ込む。中国を愛すれば愛するほど、彼らは日本などを憎むだろう。中国の主張を現実政治の中で全力で実現することが愛国の使命だと考えるだろう。

これは隣接する国々、中国と関係を持たざるを得ない全ての国々にとって空恐ろしいことだ。真実を知らない中
国人は自分の頭で考えることの出来ない共産党のロボットとなりかねないと、閻氏は書いている。

壮大な情報操作

昨年9月、野田佳彦前首相が尖閣諸島を国有化したとき、中国で吹き荒れた反日運動について民主化運動のリーダー、崔衛平氏は、それまでのどのデモとも異なる凄まじい憎しみに染まっていたと語った。その凄まじさはさしずめ閻氏の言う共産党に操られたロボットのエネルギーの凄まじさだったのではないか。

怒りに燃えた中国人は日本企業に1億ドル規模の損害を与えた。崔氏はそのような血走った中国人のデモを見て、いまこそ冷静に行動すべきだとネットで呼びかけた。あの反日の嵐の中での呼びかけは大変に勇気のいることだったと思う。命さえ狙われかねない発言であり、私は同じ言論人として、彼女に深い敬意を払うものだ。しかし、その崔氏でさえ、皮肉なことに中国共産党の教えが浸透していて、尖閣諸島は中国領だと信じているのだ。南京事件などの歴史問題でも中国共産党の路線と基本的に同じ考えである。このように、最も良心的と思われる知識人でさえ中国共産党の歴史の捏造に影響されている。容易ならざる事態である。

だからこそ、中国共産党の壮大な情報操作に、こちらも情報発信で立ち向かわなければならない。その闘いにおいて、日本は中国より断然優位に立つ。なんといっても私たちは嘘をつく必要も、壮大な仕掛けで捏造する必要もない。

日本国と日本人に必要なのは、捏造によって汚名を着せられてたまるものかという強い信念である。その気持に基づいて政府は一刻も早く情報発信の予算を拡大することだ。諸国のシンクタンクや大学、研究所などに資金を給付して、歴史や現在進行中の事柄を研究してもらうのだ。世界の良心的な研究者の活動こそ、中国政府が目論む「壮大な記憶喪失」を阻む第一歩となるはずだ。

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