闘うコラム大全集

  • 2016.05.26
  • 一般公開

憲法前文の精神に浸る人々の幻想

『週刊新潮』 2016年5月26日号

日本ルネッサンス 第705回


5月13日、米国防総省が「中国の軍事動向」に関する年次報告書を発表した。報告書は、中国は共産党創設100周年の2021年までに「適度に豊かな社会」を目指し、中華人民共和国創立100周年の49年までに「近代的社会主義国となり、繁栄する強国、民主主義的、文化的で高度に進んだ和を基調とする国を作る」ことを目指していると報告した。

 

しかし、習近平政権は毛沢東時代に逆戻りしたかのような凄まじい言論弾圧を行っている。前政権の政治犯は10年間で66人だったが、習政権は発足以来3年余りですでに600人もの政治犯を拘束、拷問している。和を基調とする国作りは絵空事である。

 

年次報告はまた中国の海軍力増強に関して強い警戒感も示した。中国はソ連崩壊後、2度にわたって軍改革を断行、江沢民政権は93年、湾岸戦争でアメリカのハイテク兵器を駆使した戦い振りに驚嘆して、ハイテク化に乗り出した。

 

胡錦濤政権は04年に、通信手段を高度化し全軍が情報を共有して効率的な展開を可能にする情報化戦争に向けた改革に踏み切った。

 

2月の大規模な機構改革によって中国人民解放軍(PLA)は新しい段階に入ったが、それによって中国共産党(CCP)のPLAに対する掌握力が強まり、中国大陸から離れた遠方地域での短期集中型戦争に勝利する統合運用能力は高まると見られる。

 

米国防総省の報告からわが国に関する記述を拾えば、中国は尖閣諸島問題で対日摩擦を引き起こすとしても、アメリカを決定的に怒らせないレベルにとどめつつ、自国の利益を拡大していく戦術だとの分析がある。領土要求を満たすために、中国は厳しい緊張の中で米国を刺激しすぎることなく、かといって諦めることもなく、戦いを続けているというのだ。


「戦えば必ず勝つ軍隊」

 

中国の深謀遠慮について、アメリカ側は彼らはアメリカと同じような軍隊を創るつもりはないと分析する。アメリカ海軍大学教授のトシ・ヨシハラ氏とジェイムズ・R・ホームズ氏の共著『太平洋の赤い星』(山形浩生訳、バジリコ)の指摘が興味深い。中国人は制海権を手にするために、大日本帝国海軍を研究しているというのだ。その心は小であっても大を制し得るということだ。

 

習主席は、PLAは「戦えば必ず勝つ軍隊」でなければならないと檄を飛ばす。勝つためには軍艦をはじめとする装備が重要だが、勝利するか否かに決定的な意味を持つのは軍人の質である。

 

PLAの力量については、中越国境紛争以来30年以上も大規模な戦争を戦っていないこと、中国海軍に至っては一度も実戦経験がないことなどが注目され、彼らの実力は低く評価されがちである。ならば日本の足跡はどう説明できるのかとヨシハラ氏らは問うている。

 

明治維新まで日本には海軍さえなかった。それが明治27年には、物量で劣っていたにも拘わらず、清朝の艦隊に圧勝した。10年後の日露戦争では、さらに大規模海軍を有していたロシアにも勝利した。

 

その歴史をいま中国人が振り返っている。習主席の唱える「中国の夢」は史上最大規模を誇る清朝時代の版図を取り戻すことだ。そのために清朝を打ち破った大日本帝国海軍の強さを学びとろうとする中国人を軽く見てはならないだろう。

 

軍事的強さの研究だけでなく、彼らは国際社会の行方を先取りしようとしている。中国は昨年11月3日に「強軍目標」を発表し、「軍事闘争準備や新型作戦力建設を強化し、国防・軍隊改革を加速させる」「海洋権益を守り、海洋強国を構築する」「深海、極地、宇宙、サイバーなど新領域の国際ルール制定に積極的に関与する」と明らかにした。

 

国境が未確定の海や宇宙空間において中国に有利な条件を確定することが、近未来の中国の力を高めると、彼らは理解し、行動しているのである。中国問題に詳しい拓殖大学教授の富坂聰氏が語る。


「中国は一旦掲げた旗は絶対に降ろさないでしょう。台湾も南シナ海も東シナ海も尖閣も諦めないと思います」

 

中国の要求は、中国の主張を国際社会が丸ごと受け入れることである。南シナ海問題を国際問題にしてはならないと彼らは言うが、真意は、彼らが核心的利益と定めたものは、そのまま受け入れよ、ということだ。

 

日本をはじめとする自由諸国にとって、それは受け入れ難い帝国主義的要求である。それでも中国は主張を押し通すために死力を尽くす。ASEAN諸国を南シナ海沿岸国とカンボジア、ミャンマー、タイなどの非沿岸国に分断して非沿岸国組を中国の味方に引き入れようとする。フィリピンのアキノ大統領が中国の行動を常設仲裁裁判所に提訴したが、中国は国際裁判自体を認めないと言う。

 

国際法無視の蛮行を押し通そうとする不条理の前で、しかし、国際社会の中国包囲網とでも呼ぶべき体制を崩しかねない不確定要素が生じてきた。中国ともうまくやれるかもしれないと言うアメリカのドナルド・トランプ氏や、祖父は中国人だった、中国と相互利益のために協力するなどと述べるフィリピンの次期大統領、ロドリゴ・ドゥテルテ氏らの存在である。

 

中国の脅威は日本にとりわけ厳しく向かってくる可能性がある。だが、日本は殆んど対応できないのではないかと思わせられる驚くべき世論調査があった。


米軍に守ってもらえばよい


「AERA」(5月16日号)が11都府県の700人に行った対面調査結果である。「自衛のためなら戦争を認めるか」「自衛のためでも認めないか」との問いに、女性はどの世代も全て、認めないと回答していた。

 

それでは「他国や武装組織の日本攻撃にはどうすべきか」と問うと、「日本には攻めてこないと思う」「外交の力で攻撃されないようにすればよい」「日本は戦争しないで米軍に戦ってもらえばいい」などの答えが並んだのだ。

 

このように答えた人たちは、中国が日本を念頭に軍事的脅威を高めているとの米国防総省の分析や、南シナ海における中国の蛮行に目をつぶるのだろうか。アメリカ人の税金で日本を守るのは真っ平だと主張するトランプ氏と、氏を支える幾千万人の米国人に向かって「米軍に守ってもらえばよい」と本気で言えるのか。


「日本には攻めてこない」などと言う人は諸国民の公正と信義に縋るという憲法前文の精神に染まっているのであろう。いまどきこんな考えにどっぷり浸っていれば、トランプ氏やドゥテルテ氏同様、中国には歓迎されるであろうが、それは思考停止以外の何ものでもない。

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