闘うコラム大全集

  • 2020.10.01
  • 一般公開

在日米軍を標的に中国が軍事訓練

『週刊新潮』 2020年10月1日号

日本ルネッサンス 第919回


「防衛問題とは一部の軍事マニアや軍事オタクのものではなく、常識論だ」


こう喝破するのは4年半にわたって統合幕僚長を務めた河野克俊氏である(『統合幕僚長』ワック)。


「自分は何かあったら友人に助けてもらうが、友人に何かあってもお金は出すが助けないという友人関係は常識的にあり得ない。スポーツでもそうだが、守るだけで攻めることをしなければ試合には勝てない。これも常識だ」


河野氏は日米安保条約の非対称性と、日本に染みついている専守防衛の考え方は非常識そのものだと言っている。全く同感である。


防衛の常識を欠いている日本で実際に起きた恥ずかしい事例を河野氏の本から抜粋してみよう。今更ではあるが、1991年の湾岸戦争に直面して日本が演じた醜態を忘れてはならない。


イラクがクウェートに侵攻し、米国が有志連合を結成してイラク攻撃に踏み切った。日本は中東の油に依存しており、高みの見物は許されない。しかしどんな貢献をするのか、海部俊樹首相(当時)はうろたえた。


まず初めに、民間人を派遣する案が提示された。だが民間海運会社に物資の輸送を依頼すると船員組合が猛反対し、メディアは、自衛隊が行かずに民間海運会社に行かせるのはおかしいと批判した。もっともだ。


次に民間人と自衛官をともに派遣する案が出された。だが憲法九条の壁があるから、派遣地域は分けなければならない。自衛官を危険地域に行かせると、武器を持っているので国権の発動たる武力行使になってしまいかねない。そこで「自衛官を安全地域に、民間人を危険地域に」ということになった。誰が聞いてもおかしな話でこの案も立ち消えた。


続いて海外青年協力隊のような別組織を作ってそこに元自衛官を入れて派遣する案が検討された。だが別組織など簡単には作れず、この案も波の彼方に消えた。


冷たい視線


さらに今度は、自衛官の身分のまま協力隊に所属させ二つの身分を持たせる案が出た。これは法律上無理となって消えた。


その次に出てきたのが予備自衛官の活用案だが、当時の予備自衛官は高年齢層の人たちが中心で、これまた却下された。


残されたのが、自衛隊をそのまま派遣する案だった。しかし、ワイドショーなどで「自衛隊を派遣すれば、日本は軍国主義になる」という声が広がった。「いつか来た道」「蟻の一穴」「軍靴の足音が聞こえる」という言葉が飛び交ってこの案も潰れた。


実はまだこの先にも幾つかの案が提示されては消えていったことを河野氏は書いているのだが、省く。最終的にわが国は1兆8千億円を拠出した。但し、「武器弾薬等には使わないで下さい」などの条件をつけた。湾岸戦争が終わったとき、クウェートも世界も日本に感謝せず、カネで済むと思うなとでも言うべき冷たい視線にわが国は晒されたのだ。


これが憲法九条のもたらした結果である。日本は非常識だったのである。当時と今は、多少、違う。しかし、基本的な状況は余り変わっていないのではないだろうか。


だからトランプ米大統領は昨年6月、3度にわたって「日米安全保障条約は不公平だ」「米国は日本を助けるために戦うが、日本はソニーのテレビで見物するだけだ」「米国の軍事費は膨大なのに日本は十分なカネを払っていない」「不公平な日米安保条約の破棄も考えている」と強烈な不満を口にしたのであろう。


一連の発言はトランプ氏の本心そのものだ。にも拘わらず、日本政府・外務省は「日米政府間では日米安保条約の見直しといった話は全く出ていない」などと否定した。現職の大統領は米国政府の代表だ。米国政府の意思表示ではないとしてトランプ発言を否定することは、まさに非常識だ。


日本政府が現実から逃避している間にも、世界の安全保障環境はさらに厳しくなった。トランプ発言から1か月後、米露が約30年間守ってきた中距離核ミサイル(INF)全廃条約が失効した。射程500キロから5500キロの地上発射型ミサイルは、米露両国がその全廃を取り決めたが、それ以外の国々は次々に中距離ミサイルを保有し始めた。中国を筆頭に、インド、パキスタン、イラン、イラク、北朝鮮、さらに韓国もである。核保有国はその中距離ミサイルに核を搭載できる。


事実上、好きなだけ戦力を増強できる世界になってしまったのだ。剥き出しの力が物を言う世界である。


そうした中、米国には中距離ミサイルがない。中国の中距離ミサイル攻撃に対処する手段がないのである。日本はどうする。これは、米国の安全保障問題ではなく、日本自身の安全保障問題だ。日本の安全保障環境が非常に危険な状況にあることに気付かなければならない。


戦後最大の危機


防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏が『新たなミサイル軍拡競争と日本の防衛』(並木書房)で、米国の専門家の論文を次のように紹介している。中国のミサイル攻撃能力の高さを窺わせる内容だ。


「中国国内に、日本の嘉手納基地、横須賀基地、三沢基地を模したターゲットが存在しており、(中国人民解放軍は)そこに向けてミサイルの実射試験を行なっている」「それらのターゲットには、横須賀に停泊している艦艇、三沢や嘉手納のバンカーや駐機場さえも再現されており、しかもそれらにピンポイントで弾道ミサイルが弾着している形跡がある」


訓練ではあるが、中国は精密誘導兵器によって、個々の艦や駐機場の航空機まで殲滅しているのである。彼らは明らかに在日米軍基地をターゲットとしている。台湾奪取、尖閣占領などで、中国軍に立ちはだかるのは米軍であるから、当然であろう。中国のミサイル攻撃をどのように阻止するのか、彼らの攻撃から如何にして国民・国土を守るのか、北朝鮮の脅威への対処も含めて戦後最大の危機が日本に迫っている。


日本がどのような安全保障戦略を持つべきか、中国や北朝鮮に対してどのような抑止力を構築すべきかを考えるときに重要なことは、ハードウェアの具体的なスペックや、配備場所を先行して議論することではないと高橋氏は説く。


「兵器の具体的な運用の形態は軍事戦略に従属し、軍事戦略は大戦略に従属するからだ」


個々の兵器の能力や配置について論ずるよりも日米間で補い合いながら中国を抑止する術を考えよというのだ。私たちはかつてない脅威に晒されている。そのことを意識し、日本の国防を確かなものにする為に、あらゆる努力をするという決意を固めなければならないのではないか。

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