闘うコラム大全集

  • 2022.06.23
  • 一般公開

世界激変、経済安全保障が新ルールだ

『週刊新潮』 2022年6月23日号

日本ルネッサンス 第1004回


米国切っての中国問題専門家、マイケル・ピルズベリー氏が著書『China2049』(日経BP)で、自分は中国に騙されていたと悔やんだ。氏自身も、氏を重用した米国政府もいまや中国心酔の熱からさめ、現実に目醒めた。彼らは矢継ぎ早に対策を打ち出した。軍事力増強は無論、貿易、技術移転等の制限で中国を締めつける枠組みを強力に推進中だ。


日本はどうか。前国家安全保障局長、北村滋氏は、近著『経済安全保障 異形の大国、中国を直視せよ』(中央公論新社)で、わが国の安全保障意識の低さについてこう記した。


「我が国の行政法大系の大宗をなす事業法。政府が保安、育成等の観点から民間事業を規制する一連の法律群だ。ここには安全保障の観点はない」


わが国の法体系に安全保障の考えが全くないというのだ。経済大国でありながら国防を米国に頼りきりで恥じないのは、国法の根本に自国防衛の思想がないことにも起因するのか。国防意識を欠いたまま、経済肥大化の道を走ってきた日本だからこそ、世界を動かす鍵となった「経済安全保障」の意味も、その重大性もよく理解できないのではないか。


北村氏は経済安全保障を「経済を、安全保障政策の力の資源として利用する政策、分かりやすく言えば経済的措置を武器の代わりに使うという攻撃的又は能動的側面」と説明する。


右の考え方を正確に理解できれば、どのようなモノや技術を潜在的敵国に移転してはならないのかを判断できるはずだ。が、現状を見るとその危機感が余りに薄い。核、ミサイル、侵略の意図の全てを有する中国、ロシア、北朝鮮などに対しても警戒感がなさすぎる。


福田恆存は国家をフィクションだと喝破した。国民が「守り通す」と決意し、日々守る努力を重ねなければ潰(つい)えてしまう脆弱な存在が国家だという意味だ。福田の国家論に基づけば、現在の日本人の国家に対する考え方や姿勢が続けば、やがて日本国は膨張欲の強い中国のような国に呑み込まれ、消滅するだろう。日本人の国を守る意識がどれほど希薄か、北村氏の著書から、防衛庁(現在の防衛省)元技官の事例を拾ってみる。


売国行為の動機


元技官は2002年、防衛庁技術研究本部主任研究官で定年退職した。在職中に、潜水艦の船体に使われる「高張力鋼」と呼ばれる特殊鋼材やその加工に関する技術報告書をコピーし、第三者を介して中国側に渡した。日本の潜水艦技術、とりわけ特殊鋼材に関する技術は世界屈指のレベルにある。高張力鋼情報の漏洩は、潜水艦の潜航深度や、魚雷からの攻撃でどの程度破壊されるかといった弱点を教えるばかりか、「敵」の潜水艦建造に利用される。


元技官は、資料は最終的に中国側に渡ると思っていたことを認めたが、わかっていながら飲食代欲しさでスパイになったわけだ。


売国行為の動機が飲食代かと腹が立つ。しかし警察庁外事情報部でスパイを取り締まってきた北村氏は言うのだ。「実は飲食が一番安上がりな手なのです。人間とはそういうものなのです」


スパイたちはかつて、命懸けで情報受け渡しの現場を押さえられないように工夫した。ところが技術の発達で状況は一変した。東芝子会社の社員は、ロシアの対外情報庁(SVR)の先端技術獲得部門所属のスパイ、サベリエフと居酒屋やファストフード店で会い、東芝の半導体やその製造工程に関する情報を渡していた。ある夜、彼らは居酒屋を出て駅まで並んで歩いた。北村氏は彼らの「無警戒」な行動に「正直面食らった」。


スパイとその協力者が堂々と肩を並べて歩く。こんな緩みきった事象は、いくら技術が発達して情報受け渡しの形態が変わったからといって、他国ではあり得ないのではないか。スパイ防止法もなく、罪も非常に軽いスパイ天国、日本ならではの現象ではないのか。現にこのケースでは、事件が発覚するとサベリエフはロシアに逃げ帰り、東芝子会社の社員は「起訴猶予処分」となった。日本にスパイ防止法が必要なゆえんだ。


これらの事例は、実は本書の入り口にすぎない。本書の真髄は習近平国家主席の下で、異形の大国中国がどのような戦略に沿って前進しつつあるかを鋭く描き出した点にある。


北村氏はまず、中国人民大学教授、王義桅(ワンイーウェイ)氏の「一帯一路」構想についての考え方に着目する。それによると、「一帯一路」は、中国を陸上と海上に同時に進出させることにより、従来、ハートランド(大陸の中心地域)に依拠した文明を陸海兼備の文明に変質させ、中国文明に内生的変化を生じさせるというのだ。


米国は孤立化する


これまでは海洋国家が先行的に発展し、経済や文明の流れは沿岸から内陸に向かい、それが「東洋は西洋に従属し、農村は都市に従属し、陸地は海洋に従属する」という負の効果を生み、国際秩序の「西洋中心論」をもたらしたと、王氏は説く。


しかし、習近平氏の一帯一路は、このような従来の世界秩序を再編することになると王氏は考えているというのだ。中国とロシアを含む欧州の連合を通じて、ユーラシア大陸を世界文明の中心に回帰させれば、米国は「孤島」の地位に落とされ、孤立化する。それこそが中国の大目標だ。王氏のユーラシア大陸論の視点はそこに辿り着くという北村氏の見方は正しいだろう。


ユーラシア大陸の決定的重要性について、北村氏はニコラス・スパイクマンによる第二次世界大戦中の研究『平和の地政学』を紹介している。


「米国の2.5倍の広さと10倍の人口(当時)を持つユーラシア大陸全体の潜在力は将来アメリカを圧倒する可能性がある」「アメリカが統一されたユーラシアのリムランド(辺境)に直面することになれば、強力な勢力による包囲状態から逃れられないことになってしまう。よって平時・戦時を問わず、アメリカは、旧世界(ユーラシア)のパワーの中心が自分たちの利益に対して敵対的な同盟などによって統一されるのを防ぐことを目指さなければならない」


米カーター政権の国家安全保障担当大統領補佐官、ブレジンスキーは25年前にユーラシア大陸の重要性を喝破したが、それより50年以上も前にスパイクマンが同様の警告を発していたのだ。


中国がユーラシア大陸を統合すれば日本こそ危うい。中国の戦略は、「海洋民主主義国家が協力して、この地域の自由貿易や法の支配を進める」という日本主導の「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)や、「日米豪印」(QUAD)協力体制の思想とは真正面から対立する。


根本的に相容れない専制独裁体制の新世界秩序構築に抗する手段が経済安全保障だ。北村氏は孫子の兵法をも踏まえて本書を上梓した。氏の書を心して読むのが国益であろう。

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